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3.ダンスタイムは突然に!
「うきゅ……。何だか私。気持ち良くなってきちゃいました~~~」
狐乃音がカルーアミルクをコーヒー牛乳……もとい、コーヒー風味の乳飲料と間違えて、くぴくぴと飲んでしまってから数分後のこと。狐乃音は案の定、完全に酔っ払ってしまったのだった。
狐乃音は、神として意識が芽生えてから軽く90年は経過しているけれど、実体化した体は小さな子供のまんま。酒が回るのはとても早かった。
「ふひゃっ! わたひ、ろうしちゃったんでしょ~~~? とってもふわふわしちゃいます~~~」
甘くてとってもおいしいので、ジュース感覚で飲めてしまったのだ。
それこそが、カルーアミルクの危険なところなのだけど、狐乃音は知る由もなかった。
「きょ乃音、踊りますよ~~~! 踊っちゃいますよ~~~!」
興奮したのか、何だか無性に体を動かしたくなってきてしまった。狐乃音のテンションはMAX状態。手始めに、お兄さんが時々テレビで見ているやきゅうというスポーツの、応援用の傘を開いて掲げ、左右に揺れてみた。
「くりゅくりゅなのです~~~!」
そうかと思えば、今度はどこから取り出したのか、神楽鈴を片手に巫女神楽を舞い始める狐乃音。しゃんしゃんとした鈴の音が、和室の中に鳴り響く。
「うっきゅっきゅ~のきゅ~~~!」
静けさの中、厳かに踊る……わけでもなく、千鳥足のふらふら状態。右に左によろめいて、危なっかしいことこの上ない。
と、思えば今度は両手を激しく上下させ始めた。もはやモンキーダンスだ。
「うきゅ~! この宇宙の向こう側には~どんな星がある~。終わりなく続いてく~。将来信じて~腕をのばして~。ププププリギア~。ププププリギア~!」
狐乃音にとって、お気に入りの女児向けアニメ『プリギア』のエンディングテーマを口ずさみながら、激しくダンスタイム。
と、そんな時。狐乃音は床に落ちていたピンク色のスーパーボール(サイズ大)を踏んでしまい、つんのめった。
「うきゅきゅきゅきゅ~!?」
どうにか体勢を建て直そうとするも、今度は自分のふさふさ尻尾をしこたま踏んづけてしまった。
「うぎゅん! ふひゅ~~~……」
そのままバンッと壁におでこをぶつけ、何回か回転しながらべしゃっと昏倒。狐乃音はしばらく目を回したまま、立ち上がれなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
どこからか、声が聞こえる。
『死にたくない』
静かに。だけど確実にそれは、狐乃音の狐耳にも聞こえていた。
どこから? 誰の? あれ。……そもそも、自分は誰でしたっけ?
「はっ!?」
狐乃音はガバッと起き上がり、ポニーテールにした長い髪を振り乱しながら、何度かかぶりを振る。
ふにふにのほっぺには畳の跡が付いてしまっているけれど、そんなことは気にしない。
いつの間にか、酔いはすっ飛んでいた。
「私は狐乃音です!」
お兄さんの家に居候させてもらっている、ドジでちびっこな稲荷神。自分に自己紹介をするかのように、しっかりと意識を取り戻す。
それよりも、聞こえた声だ。あれは決して気のせいではない。誰かが命の危機に瀕しているのだとわかる。無関心ではいられない。
「どなた、でしょうか?」
きっと近くだ。間違いなくわかる。何故自分に声が聞こえたのか? それはわからないけれど、誰かに助けを求めているのかもしれない。行かなければ。
「うきゅっ! ど、ど、どうすれば……!?」
とにかく、時間が無いという事だけは、何故かわかった。しかし、行かないと! すぐにでも救わなければ、失われてしまう命なのだ。きっとそうなのだろう。でも、どうやって!?
「考えるのです! 自分で!」
今は、慌てん坊な自分をいつも落ちつかせてくれる、頼りになるお兄さんもいない。ならば、自分でどうにかするしかないのだ。
お兄さんはいつも言っていた。慌ててもいいことなんて、何もないんだよと。彼は、自分自身にも言い聞かせるように、狐乃音にも教えてくれた。そうだ。こういう時は、深呼吸をするのがいいんだ。
「すー、はー、すー、はー。落ちつくのです、私! 落ちついて、よく考えるのです!」
その声を発した人物の側からだろうか? 何やら音が聞こえる。ごとごとと、多分電車が走る音だ!
(っ!)
鮮明なイメージが頭に浮かぶ。シルエットが見えた! 陸橋の上に、人がいる。虚ろな目をした、誰かが。
(ダメです!)
聞こえた声はきっと、その人が発したのだろう。きっと、神としての力で、声無き声を感じることができたのだ。おいしいコーヒー風味の乳飲料を飲んで、何故だかわからないけれどとても気持ちが良くなっちゃって、それで狐乃音の心のセンサーが全解放されたのだろう、きっと。狐乃音はそう理解した。
(ど、どうすれば!)
その人は陸橋を超え、電車が走っていく所へと今まさに落ちていこうとしていた。
(うきゅっ!)
だめだ! とても、間に合わない。仮に今から家を飛び出して、全速力で走ったところで、到底間に合わない。では、どうすればいいのか?
だったら飛ぶのです! 瞬間移動すればいいのです! ……できなくはないけれど、うまくいくだろうか? わからないけれど、とにかくやってみよう!
「うきゅ~~~っ! で、できるかどうかわかりませんが、いちかばちかです! やって見せますっ! はあぁっ!」
狐乃音はぱちんと手を合わせ、強く念じた。
「ふぅぅぅ! しゅ・う・ちゅ・う、するのです私っ! 移動っ!」
今は、神としての力を使う時なのだ。ふさふさ狐尻尾をピンッと立てて、緊張モード。
瞬時に目的の場所へと移動しつつ、たどり着いた回りの空間を部分的に切り取って、それごと移動する。イメージはそんな感じだ。
「間に合ってくださいっ!」
多分、ものすごく疲れる。この力はきっと、自分の体に相当な負荷をかけることだろう。狐乃音はそう思ったが、今は仕方がない。人の命がかかっているのだ。
やがて、人のシルエットが橋の上から、確実に落ちていく。
そして、ちょうど下を走ってきた、大きくて硬くて重いものにぶち当たる。命が弾けるのは一瞬だ。あっけないものだ。その寸前だった。
「うっきゅううううううううっ! 間に合ってくださいいいいいいっ!」
狐乃音は気合を入れた。落ちていく人を光が包んだ瞬間、ドン、という軽い衝撃と共に、周りは暗闇に包まれた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ま、間に合った……みたい、です、ね?」
「……」
光のない宇宙。形容するならば、そんな感じ。まるで、雨戸を締め切った密室に浮かんでいるかのようだ。
大きなシャボン玉のような、丸いものに包まれてふわふわと浮いている。その中には狐乃音と、スーツ姿の男性がいた。
「あ、ああ、よかった……」
激しくぜーはぜーはーしながら脱力し、魂が少し抜けかけている狐乃音は、そう呟いた。
何が起きたのかわからずに、呆然としている男。白髪混じりの、四十代半ばといったところだろうか。一緒に住んでいるお兄さんよりも、年上なのだろうと狐乃音は思った。
「君は?」
「わ、私は……こ、狐乃音、と、申します」
呼吸がなかなか落ち着かない。
「狐の神様?」
「はい。そう、なんです。……一応。こんな、ちっちゃいですけど」
「どうして俺を、助けたんだ?」
静かに、淡々と言葉を紡ぐ男に、狐乃音は答えていくのだった。
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