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修学旅行初日は、快晴だった。新幹線で昼前には京都へ到着した清鳳学園の面々は、それぞれ班ごとに分かれて観光スポットへ散った。
名門私立校の修学旅行にしては行き先がやや地味だが、そのぶん宿泊先がすべて一流所である点、制服を着なくていいという点、そしてクラス行動や全体行動が少ないという点が清鳳学園の修学旅行のいいところだ。
気の合った仲間と好きな場所へ行き、楽しみながら5日間を過ごせる。
クラス替えのないこの学園では、必然的にあと一年以上、同じメンツでつるんでいくことになる。中にはおそらく、一生のつきあいになる仲間もいるだろう。
そういう意味で、清鳳学園の生徒にとって、この修学旅行の班分けというのは至極重要だった。
「……気の合った仲間……?」
京都駅からの道を瀧川に連行されるように歩きながら、桂は呟いた。
この班分けも、どうやら桂のいない隙に決められたらしく、案の定、桂は瀧川の班に組み入れられていた。
「言っとくが、この班分けは一カ月以上前には決まっていた。おまえが無関心なのが悪い」
いけしゃあしゃあと言う瀧川の顔を、桂は恨みがましい目で見上げる。引っ張られたブルゾンの袖を直しながら、ハアっとわざとらしくため息をついた。
「どうせ俺が、放送の当番でいない時に決めたんだろ……」
「よくわかったな。何か不満か?」
別に、と桂は拗ねたように答えてみせてから、陰でこっそりと苦笑する。
実際のところ、瀧川とは別に、気が合わない訳ではないのだ。からかったりからかわれたりしながらも、結局クラス内では一番仲の良い友人だった。
瀧川のように、桂に対して遠慮せずにものを言える存在は貴重だ。気を使わなくてすむから、居心地がいい。
結局、一日目はうどんの美味しい店で昼食をとり、三十三間堂周辺をぶらついて終わった。班長が瀧川だったので、計画も極めて大まかだった。
「明日は大原、三千院」
「当然、清水寺」
「平等院鳳凰堂」
「平安神宮」
「舞妓、湯豆腐、わらび餅」
旅館に着いて明日の計画を話し合ったものの、5名の班員の意見は面白いほどバラバラだった。
最終的には勝ち抜きジャンケンで、午前中に宇治周辺、お昼には湯豆腐を食べ、午後には清水寺を観光し、どこかの茶屋でわらび餅を食べ……舞妓さんは見れたらラッキー、ということで話は決まった。
「浮かない顔だな、山崎」
風呂上がりに、部屋で大騒ぎを始めたクラスの輪から離れて涼んでいた桂に、瀧川がそんな声をかける。髪を拭いていたタオルを外して、桂は肩をすくめた。
「そうでも……ないけど?」
「なら、この格好であんまり色っぽい顔をするな?」
茶化すような口調で浴衣の袷を引っ張ってくる瀧川の手を振り払い、桂はクス、と笑う。
「悪いけど……寝てる間にイタズラはやめてね、瀧川?」
「オレはしないが、あいつらの保証はしない。さっきの風呂場で、かなりキてると思う」
「……かもね」
ほてった頬にタオルをあて、くすくすと桂が笑う。冗談じゃないんだが、と思いながら、瀧川は仏頂面で腕を組む。
入浴時間は、クラスごとに指定されていた。瀧川は桂に、時間をずらして入るか、できれば部屋のシャワーを使えと忠告したのだが、桂は聞かなかった。そのおかげで湯船から出るに出られず、のぼせた馬鹿が何名かいたはずだ。
だいたい、浴衣姿というのがよくない。部屋にいる十余名は全員同じ模様の浴衣を着ているはずなのに、なぜか桂の姿だけが妙に目立ってしまう。そんな格好で、窓辺で足を組んで憂い顔で髪を拭くな、と言うのだ。
瀧川は桂に近寄り、声をひそめた。
「……坂井は?」
「会ってない。クラス違うし」
「さっき、下の土産物屋にいたぞ」
おせっかいに言い募る瀧川を、ムッとしたように桂は睨む。
「俺のことより、可愛い後輩に電話でもしとかなくていいのか、瀧川? 四泊全部俺と同じ部屋だなんてバレたら、ますます誤解が誤解を生むよ?」
意地悪くそう言うと、瀧川は肩をすくめて桂のそばを離れていく。瀧川が遠ざかると、桂は軽いため息をついた。
瀧川に答えたとおり、桂は今朝一緒に集合場所まで来た以外は、修史と顔を合わせていない。
クラスが違う。班が違う。それでも同じ旅館に滞在しているのだから、会おうとすれば会えるのだ。桂と修史の気持ちを知っている瀧川の目には、不審に映ったのだろう。
たぶん今は、会わない方がいい。そんなふうに思うから、桂は修史のことを避けていた。
わざわざ会いに行くようなことは、しない方がいい。すればきっと、修史にプレッシャーをかけてしまう。
桂はもう一度、ゆっくりとため息を吐き出した。それを遠巻きに見ていた瀧川は、興味深そうに眉を跳ね上げた。
◆ ◆
修学旅行は滞りなく進み、四日目の夜を迎えていた。日中は大阪市内の観光をし、宿泊先は神戸のシティホテル。修学旅行、最後の夜である。
同じ班のメンバーと階下のレストランで夕食をとった後、部屋に上がった桂は、そういえばそうだったと今更ながら思い出す。
今夜は、瀧川と同室だったのだ。そして、瀧川が予告していた『報復』とやらも、まだ実行されていないところを鑑みるに、今夜がその実行日ということで間違いはないだろう。
やれやれ、と桂はため息をつく。この二年弱のつきあいで、根本的には瀧川を信用していたので、実はそれほど深刻な心配はしていない。だがそれと同時に、瀧川が人をからかうときは徹底して策略を練るタイプだということも熟知していた。
「タオルと……浴衣も、あるぞ。……日本のホテルってサービスいいな」
クローゼットを開け、中を物色していた瀧川が桂の分の一式を放ってよこす。それを自分のベッドへとりあえず置いて、桂は部屋のテレビをつけた。
見慣れないコマーシャルや、関東ではずいぶん前に放映の終わった番組が流れるのを、見るともなしに見やる。瀧川は携帯でどこかに電話をかけ、しばらくの間、言葉少なに話し込んでいた。
「……あ、オレ。そっち、どう? ………ええと……遅れるのは、やばいから。……足りなければ、いい。……ん。……じゃな」
例の片思いの相手かな、と思ったが、どうもそうではないらしい。通話が終わっても瀧川は、誰と話していたか説明はしなかったので、桂も聞かなかった。
交替で部屋のシャワーを使い、浴衣に着替える。ベッドサイドのデジタル時計は、十時四十分を示していた。
まだ眠るには早い時間だが、連日の大騒ぎのせいで、相当疲れている。瀧川の悪巧みが始まる前に、さっさと寝てしまおうかとベッドカバーを引きはがした所で、桂は瀧川に手招きをされた。
「山崎。ちょっとこっちへ」
ドアの方へ歩み寄り、桂は不審そうに眉根を寄せる。
「仕返しするって、言っておいたよな。ちょっと、来てもらっていいか?」
そう言うなり、瀧川は返事を待たずに桂の腕を掴んで、廊下に出た。そのままエレベーターホールに向かい、下へ向かうボタンを押す。
「どこ行く気だ?」
訝しんで桂が尋ねるが、瀧川は黙ったまま答えない。エレベーターに乗り込むと、瀧川は2階を押した。
2階といえば、レストランとか大浴場とかがある階だよな、と桂が思い返しているうちに、エレベーターは目的の階に到着した。
人気のないホールに降り、廊下をすたすた進んでいく瀧川の後ろを、歩きづらいスリッパに煩わされながら何とか着いていく。突き当たりの、明かりの消えたバイキングレストランに、瀧川は入っていった。
中は、完全な暗闇だった。一歩先に入ったはずの瀧川の姿さえ見つけられずに、桂は目を凝らす。
「瀧川? ……勝手に入って……」
大丈夫なのか、と聞こうとした口を、後ろからのびた瀧川の手が塞いだ。ぎょっとする桂の耳元に、瀧川が唇を寄せた。
「覚悟はいいか、山崎?」
口を塞がれたまま、桂は頷く。
「声、出すなよ?」
ハイハイと頷いて、桂は体の力を抜いた。
瀧川が、ゆっくりと手をはなす。その途端、暗かったレストランの明かりが、いっせいに点いた。
続いて、パンッという凄まじい破裂音が方々から上がる。びくっとして体をすくめた桂を後ろから支えて、瀧川がプーッと吹き出した。
「目ぇ開けて平気だって、山崎」
「びっ……くりした。って……何?」
目を開けて、桂は息をのむ。明かりに慣れた目に飛び込んで来たのは、2Dのクラス全員の顔だった。彼らが掲げもっているのはどうやら使用済みのクラッカーで、さっきの破裂音の正体はコレらしい。
鼻に付く火薬の匂いと、床に散乱した、クラッカーの中身。
まだ茫然としている桂の背を押して、瀧川が歩きだす。駆け寄って来たクラスメイトが口々におめでとうと言うので、ようやく桂にもこの騒ぎの意味がわかった。
「……意地悪い、瀧川」
恨めしげに見上げられて、瀧川は堪えきれずに爆笑した。
桂の、あんなに驚いた表情を見たのは初めてだ。とりあえず、大成功と言えるだろう。
一時間早い、ハッピーバースデー。修学旅行の班決めと一緒に、桂に内緒で企画されたのがこれだった。
中央に引っ張り出され、用意されたケーキの蝋燭を吹き消す桂を眺めつつ、瀧川はもう一度、こっそりと笑った。手にしていた部屋のカードキーを、ポン、と指で弾く。
……この程度で、意地悪だなんて言われても困るのだ。修学旅行はまだ、終わったわけではないのだから。
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