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※この物語は、『After Rain』シリーズの第3弾です   ◆  ◆    作為を感じる、と桂は呻いた。彼は、三日後に迫った修学旅行の部屋割り表を、食い入るように眺めている。 「どうかしたか?」  涼しい顔で聞いてくるのは、クラスメイトの瀧川将人だ。陸上部のホープ……ついでに言うなら、2Dの修学旅行委員である。 「これ、決めたの絶対おまえだな……瀧川?」  桂が睨むと、瀧川はしれっとした顔で首を振る。 「いや。くじ引き」 「俺はくじを引いた記憶がないんだけど?」  桂がそう主張すると、ニヤッと意地悪く、瀧川は笑った。 「親切なこのオレが、おまえの代わりに引いて差しあげた。何か文句あるか?」  ある、と桂は思いつつ、その部屋割り表を再び握りしめた。  旅館に宿泊する京都と大阪では、十人前後の大部屋だから、まあいい。問題なのは、最後の一泊。神戸のホテルで、なぜか桂と瀧川は同室になっている。他はだいたい三人部屋なのに、そこだけ狙ったように二人部屋なのも極めて怪しい。 「楽しい旅になりそうだな、山崎?」  勝ち誇ったように言った瀧川に、かもね、と桂は引きつった笑いを返した。  瀧川は同じ部の後輩に片思い中なのだが、数日前、桂のちょっとした悪戯のせいで、その後輩との仲が拗れたのを恨みに思っているらしい。  「覚悟しておけ」とあらかじめ報復予告はされていたものの、まさかこういう手段で来るとは思わなかった。  京都二泊、大阪・神戸に各一泊。ひたすらオーソドックスなコースだが、どうやら退屈しない旅になりそうだと、桂は思った。   ◆  ◆  放課後、バスケ部の練習に出ていた修史は、体育館の入り口でひらひらと手を振る桂に気づき、シュート練習を抜けて駆け寄った。 「どうした?」  修史が部活をしている所へ桂が顔を出すことは、比較的めずらしい。何かあったかと聞く修史に、桂は首を振ってやわらかい笑顔になる。 「今日、うちに寄れる? ……母さんが、ロールキャベツ作るってさ」 「いいの? 練習おわんの、6時過ぎるけど……」 「うち、最近は夕食、いつも7時過ぎだから」  じゃあな、と手を振って桂が体育館を出て行く。後で、と手を振り返した修史の肩に、突然うしろからガバッと誰かがのしかかった。 「うわっ……何だ? ……い、石川?」  慌てて振りほどこうとするが、2メートル近い大男が全体重をかけてぶら下がって来るので、立っているのがやっとだ。  はなせ、ともがく修史の耳元で、バスケ部部長の石川洋輔が、いいなあいいなあと呟いた。 「ウチ、寄れる? だって、あの山崎桂が!」  ロールキャベツっ、と意味もなく叫んで、石川はぎゅうぎゅうと修史の首を締め上げる。 「石川……落ち着けって、……痛い」 「坂井……羨ましい奴。山崎桂が幼なじみだなんて」  修史はゴホゴホと咳き込んだ。ようやく石川の腕から逃れ、新鮮な空気にありつく。 「……仕方ないだろ、たまたま家が近いんだ」 「つきあっているという噂は本当か」  ずばりと聞いた石川の台詞に、その場にいたバスケ部員全員が動きをとめ、聞き耳を立てたのがわかった。 「………」  修史は無表情で、床に転がってきたバスケットボールを拾った。緩いチェストパスで、それを石川に渡す。 「ノーコメント」  本当は、隠すようなことでもないのだが……とりあえず、今の所は。  桂は自分のものだと、主張できる状態でもないのだ。   ◆  ◆  桂の家の夕食に修史が呼ばれることは、昔からわりと頻繁にあった。  共働きの修史の家では、何だかんだ言って夕食は出来合いのもので済まされることが多い。うまい、うまいと料理を褒めちぎる修史は桂の母親に気に入られており、修史の好物を作るときはたいてい、お声がかかる。 「麻里ちゃんも誘ったけど、友達と食べてくるってさ」  先に家に戻り、くつろいだ私服に着替えていた桂が、玄関で出迎え、そう言う。  麻里というのは、一つ年下の、修史の妹だ。修史同様、麻里も桂の家の夕食に招かれることが多かったが、高校に入学してからは、友人と外食で済ますことも多くなった。  修史は学ランの上着をリビングのポールにかけ、既にいい匂いの漂っているダイニングへ向かう。テーブルの上には予告どおり、ロールキャベツの皿が、白い湯気を立ちのぼらせていた。 「さ、ご飯にしましょ。部活の後だから、おなか空いてるでしょう。おかわりあるわよ?」  桂の母親に促され、席に着くと、桂と修史は遠慮なく料理をつつき始めた。  報道の仕事をしている桂の父親は、帰りが遅いことが多かった。兄弟のいない桂の家では、だから余計、来客は喜ばれる。修史の方も、冷えた惣菜を電子レンジで温めて食べるよりは、専業主婦お手製の料理を食べる方がもちろんありがたいのだ。 「修史くん、修史くん」  食事の後、桂が二階へ上がっている隙に、桂の母親が修史を手招きをする。何だろうと思って修史が近寄ると、彼女は桂によく似た悪戯っぽい笑顔になった。 「あのね、修学旅行から戻る日……外でお夕飯食べないで、桂と一緒にうちに寄ってくれる?」 「いいですけど……何で?」  修史が聞くと、彼女はふふっと幸せそうに笑う。 「20日。桂の誕生日」  その答えを聞いて、修史も思わず笑顔になった。 一人っ子の桂は、本当に大事にされている、と修史の目には映る。自分の家が放任主義だから、余計にそう思うのかもしれない。  そしてそれと同時に、修史はどうしても、かすかな罪悪感を感じてしまう。桂の母親が自分に向ける信頼を、苦しく思うことがしばしばあった。……最近は、特にだ。  修史に借りていたCDを手に、桂が二階から降りてくる。含み笑いをしつつキッチンへ消えた母親を不気味そうに見送りながら、桂は修史にCDを手渡した。 「母さん、何?」  訝しんで聞く桂に、修史はCDを鞄にしまいつつ、さあなと肩をすくめてはぐらかした。  桂が自分の誕生日を忘れがちなのは、毎度のことだ。そして桂の母親は、そんな息子に内緒で御馳走を用意し、驚かせるのを楽しみにしている。  毎年の誕生日に、桂を夕食時に間に合うように帰宅させるのは、昔から修史の役目だった。  お茶をもらい、リビングでテレビを見ながら三十分ほどくつろいだ後、さてと、と立ち上がった修史を見上げ、桂は首を傾げる。 「帰る?」  上着を着ながら、修史は頷いた。 「ああ……そろそろ。また、明日な」 「了解。……あ、俺、明日 当番だから先行く」  屈託のない笑顔で、桂がそう言う。修史は頷いて、キッチンにいる桂の母親へ声をかけつつ、リビングを出た。  玄関で靴を履いていると、後からついて来た桂が、もの言いたげな視線で見つめてくる。修史は苦笑して、そっと桂の腕を引いた。  ごく軽く、唇が重なる。その掠めるような一瞬のキスに、桂がちょっと照れたような表情で、拳を作り、ドンと修史の肩を叩いた。 「じゃな。また明日」  うん、と桂が頷いて手を振る。そして、修史がドアの向こうへ姿を消してしまうと、桂はかすかに眉をひそめ、軽いため息をついた。
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