二十年の報い

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二十年の報い

 近所に引っ越してきたのが、まさかの小学校時代の友人だった。  挨拶という名目で菜々子(ななこ)を家に上げてからというもの、かれこれ一時間も盛り上がってしまっている私達である。なんせ、ぴったり二十年ぶりと来たものだ。小学生であった自分達も、今では立派にオバチャンに片足つっこんだ大人となっている。 「中学に入ってすぐ、菜々子ってば親の仕事の都合で沖縄に引っ越しちゃったもんね。仲良かったのに全然会えないし年賀状くらいしか連絡取れなくて寂しかったよ」 「私も私も。当時携帯なんかみんな持ってなかったもんねー、朋香(ともか)に会えなくて寂しかったよ。あーこれ、ほんと懐かしいー」  自宅は散らかっていたが、親友と呼んで差し支えないほどの仲だった私達だ。すぐにあの頃に舞い戻って打ち解けてしまい、部屋が汚いことなんぞ吹っ飛んでしまっていた。  現在リビングで、当時の卒業アルバムを引っ張り出してきてやんややんやと騒いでいる状況である。私は専業主婦でまだ子供はいなかったし、早々に結婚したという彼女の息子は小学校に行っている時間帯。本当は家事やらなんやらとやるべきことはお互いあったはずだが、久しぶりの再会に熱中してしまいついつい時間を忘れてしまったのだった。  まあ、そういう日があってもいいはずだろう。ただでさえ最近、世間では“謎の神隠し事件”だの“人の腕一本だけ見つかった”だの嫌なニュースばかり流れてきてうんざりしていたのである。懐かしい友人とお喋りする時くらい、そういった柵は忘れて舞い上がっていたいのは当たり前のことではなかろうか。 「六年二組のみんなこと、覚えてる?」  やや埃を被っていたものの、卒業アルバムは大切に取ってあった。ページを開けば懐かしい思い出が蘇る。今よりもずっと、私立を受験する生徒が少なかった時代だ。受験勉強だ受験戦争だとピリピリしている生徒は、少なくとも私達のクラスでは少なかった。大半の生徒が、そのまま近くの公立中学に進学したはずである。  菜々子も私も、学区で言えば同じ学校に上がれる筈だったのだが――残念ながら、中学に入ってすぐ菜々子は親の転勤が決まってしまうことになった。友人としての思い出らしい思い出の大半は、小学生時代に集約されている。特に、六年生のクラスは和気あいあいとして楽しかったのをよく覚えているのだ。
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