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それをみつけたのは母の遺品を整理していたときだった。 兄の息子…つまりは私の甥っ子は誰に似たのか優秀で、この地域でも一番の学力と言われる私立の中学を受験することになった。しかし、兄弟が多く自宅だと集中して勉強ができないということで、受験までの残り半年、我が家に居候させてほしいと兄からお願いされていたため、数日前からコツコツと自宅の片付けを始めている。  部屋は余っているし、長男は落ち着いた子で手がかかる年でもないからと引き受けたが、さすがに物置にしていた部屋は本気で片付けようと休日に重い腰を上げた。 母は物をとっておくタイプの人だったため、部屋にはがらくたもたくさんある。 私や兄の幼稚園時代からの作品…とも言えないイタズラ描きのようなものまで大事にとってあり、母らしいなぁと苦笑した。母がそんなものでも大事にしてくれていたのかと思うと胸が熱くなり、自分まで捨てられなくなったので大変困った。 あらかた片付けが終わると甥が訪ねてきた。 「母さんがきっとひーちゃは休日に片付けをするはずだから手伝っておいでって…。」 年頃の男の子らしくもごもごと口の中で話し、目を合わさないが、おじゃまします…と挨拶だけは欠かさないところに思春期のアンバランスさを感じる。 甥は小さい頃、私の名前『ひかる』が言えなかったため『ひーちゃ』と言う。それが周りや弟妹にまで浸透し、兄まで私をひーちゃと呼ぶようになったときは鳥肌が立った。 「だいたい終わったよ。テレビは部屋に入れる?机はひーちゃの昔のがあるけど…。」 「…テレビはいらないけどパソコンは入れたい。…ひーちゃの机でいい。」 ボソボソと必要最小限のことだけを言うと、甥は台所に向かい義姉からだとおはぎを皿に並べ、お湯を沸かした。 祖父母と同居しているためか、行儀作法は厳しくしつけられているようで、お茶を淹れるとき、お湯は一度90℃位まで冷ましてからゆっくり、こっくりと淹れた。親は二人とも元ヤンキーだが、甥を見ているととてもじゃないがあの二人の子供とは思えない。 「…お茶。。。」ぶっきらぼうに渡すその指は細く長い。兄も背が高いが甥はもっと伸びそうだ。小作りの顔には大きな眼鏡をかけてしきりに直すのが照れ隠しだと知っている。 おはぎは義姉の手作りであんこはかなり甘く炊いてある。小粒の小豆をてんさい糖とはちみつで炊きあげられ、艶々でふっくらとして、小豆の皮も感じられる。中の餅米は柔らかく、疲れた体に炭水化物のエネルギーと小豆の糖分は染み渡った。大人と二人きりの時間は気まずいだろうとさっさとおはぎを食べ、甥の部屋へ案内した。 「兄さんが日曜日にトラックで荷物運ぶって行ってたよ。タンスは空にしといたから服はそこに入れて制服は押し入れにでもかけときな?」古い家なのでパソコンの配線などないからいよいよWi-Fiを通さなきゃなぁなどと考えていると 「…ごめん…。」ぼそりと甥が言った。 「え?」聞き取りづらいのもあったが何故謝るのかが分からない。 「…。」それ以降もくもくと作業を始めるので、思春期とはそうゆうものだろうと私も黙って片付けた。 夕飯刻に兄と義姉が訪ねてきた。子供たちも一緒で一気に騒がしくなった。 「こんな面倒ごと、ごめんなさいね。夜ご飯みんなで食べようと思ってお赤飯炊いてきたの。」にこにこと穏やかな笑みを絶やさない姉だがバリバリの元ヤンキーなので怒らせると非常に怖い。なのに非常に甘党で、あんこは特に欠かさない。 お赤飯はささげを使ったものではなく、食紅で赤く染め甘納豆を混ぜる北海道スタイルのものだ。 「私の母が北海道出身だから私もこの味に慣れちゃって。」出産のたびにこのお赤飯が私にも届くため、すっかり馴染んでしまった。 薄紅色に染まった米は餅米を混ぜているため、もちもちとした食感で、甘納豆を噛むと口の中に甘さが広がるが嫌な甘さではなく、上品でふんわりと優しい。 手に入りやすい金時豆を使っているため、豆の粒が大きく食べごたえがある。 塩気のあるおかずとの相性もよく、子供たちが大好きな唐揚げも持参してくれたおかげですっかりお腹がいっぱいだ。 すると兄がコソコソと私を呼び出した。大きな図体だから丸見えだが本人にその自覚はない。 「なぁ、あいつのこと…頼むな?俺はあいつと違って頭わりーから…その…勉強もみてやれねーし、何考えてんのか全然わかんねーんだよ…。」困ってるときやいらだっていると兄は爪を噛む。母からもずっと注意されてきたが治らない癖だ。 「…あの子は…大丈夫じゃないの?頭いいし。」私は人のことには深く関わらない主義…と言えばかっこがいいが、食べ物のこと以外は心底どうでもいいのだ。 「うん…俺はさ、バカだし周りに迷惑かけてばかりだったけど…。それでもわかんだよ。」 はぁ、と一呼吸置いてから兄は話し始めた。 「俺みたいなのはみんながなんやかんや手を焼いてくれるからいいんだ。…でも今でも…謝りてーよ。当時のクラスメートや…」 言葉をと切らせ兄は私をちらりと見た。 「お前に。」 えっ、と思わず見返してしまった。 「お前は…優等生ではなかったけど…普通のことを普通にするやつじゃん?普通とか当たり前とか…やるべきことをやるやつってのは叱られはしねーけど褒められもしねーんだよ…。学生のときはそんなやつらをばかじゃねーのって思ってた。でもいざ自分が周りに合わせて、とか人目を気にして、とか親として…とか考えると普通がわかんねーの…。」 少し鼻声の兄が難しい顔をした。兄が精神的かつ心理的なことを話すのを初めて聞いた。言葉は稚拙だか真っ直ぐで真理な気もする。 「…俺も嫁もこんなんだから…小さい頃から長男がどんな目で見られて、知らないところでどんなこと言われて…とか考えるだけでぶん殴りたくなるんだよ…」そう言って拳を握った兄は 「自分を。」と言った。 「兄さんも義姉さんも頑張ってるじゃん。誰も何にも言いやしないよ。」兄の迫力にたじたじとしたが、周りが何かを言うなんて考えられない。 「…だといいんだがな。お前知ってるか?バチとか呪いとかって本人じゃなくてそいつが大事にしているやつに向かうんだぜ。因果応報?ってやつ。…俺はそれを知ってからすげぇ怖えんだ…。全部俺が悪いから…きっちり俺が受けるからって何度も神様に頭下げたよ…。」 確かに、ある時を境に兄は信心深くなったのを知っている。 出先に神社があれば必ずお参りし、毎年欠かさずお布施を近所の神社に納めている。財布とは別に五円を貯めている小銭入れがあるのも知っている。そんな思いがあったからか…。 「朝陽のことは大丈夫だよ。仕事も落ち着いたし、受験の手続きとかも言ってくれたらやるからそんなに心配することないよ。」酒が入って少し涙もろくなっている兄を慰め義姉にバトンタッチした。 「え?飲んじゃったの?もー帰りの運転あたしかよ!」と言いながらにこにこと兄を後部座席に押し込み、子供たちを連れて帰っていった。 来週からは甥との生活が始まる。 夏休みの少し前の土曜日に甥は引っ越してきた。といっても荷物はシンプルで勉強道具一式の小さなパソコン、望遠鏡だった。 「洋服は…こんだけ?」 「洗って使い回せば5枚ずつで十分でしょ?」洒落っ気が全くない。 片付けも一時間ほどで終わり心配そうにする義姉を甥は押し出すように返した。 口では邪魔だとか、うざいからだとか言っていたが、帰ったあとに 「弟妹たちが待ってるから…。」と気まずそうに言う甥が健気だった。 「…昼御飯食べよう!」休みの日にまとめて作って冷凍しておいたチャーシューを解凍しチャーハンにする。 ご飯は炊きたてを少し置いたものが扱いやすい。パラパラチャーハンも旨いが今回はもちっとした食感を目指した。具は長ネギと卵、チャーシューと王道だ。 もやしとワカメのスープは市販のラーメンスープで作り、昨日から浸けておいたきゅうりと大根のおしんこをつけてあっという間にできあがった。 「簡単で悪いけど。」そう言って出すと 「簡単だと悪いの?」と聞き返され戸惑った。 確かに…『簡単』の何が悪いのだろう…なぜ簡単だと罪悪感を感じるのだろう…と考えているうちに当の甥はぺろりと食べきっていた。 「美味しかった。ごちそうさまでした。」そう言ってお皿を洗ってテーブルを拭いて、使った椅子をきちんと戻す姿には甘えが感じられない。 「食べたいものとかあれば教えて。あとでスーパー行くから。」 「その日の安い食材があればそれでいいんじゃない?好き嫌いはないから…。」目をそらして自室に戻っていく。 「…好き嫌いはない、か…。」つまり好きもないってことか…。好きな食べ物ならいくつでも並べられる自分には悲しい言葉だった。 甥は思った以上に手がかからなかった。朝は自分で支度をし、ゴミなども捨てておいてくれる。洗濯や皿洗い、トイレ掃除という名のある家事から、名もなき家事までこなしてくれて、面倒どころか非常に助かることになった。 学校が終わると寄り道もせずまっすぐ帰り、勉強をしているようだ。 「友達呼んでもいいんだよ?」と声をかけてみたが、俯いたまま返事はなくだいぶたってから 「今は勉強が一番だから…。」と言われ、それ以上は何も言えなかった。 夏休みに入ると甥は、夏期講習のための塾と家の往復だった。 お弁当はいらないと言われたが、そうはいかないと押し問答となり、おにぎり二つとおかず、おしんこというメニューに限ることでお互い妥協した。 甥は料理だけは苦手なようで私が作っているが、他の家事をしてもらっていることも含め遠慮などいらないのに、どことなく引け目を感じている様子がいつも気になった。 自分が小学生のときはどうだったろう。近所の友達の家に上がり込んでご飯をご馳走になったことも、一回や二回ではない気がする。 今日のおにぎりは鮭と悪魔のおにぎりにした。 鮭は紅鮭に限る。大辛が好みだが甥に合わせて甘塩にしてみたら美味しかった。 ふっくら少し固めに、土鍋で炊いたこしひかりは、熱々のうちに粒を壊さないよう切り混ぜる。 少し冷めたら鮭をたっぷりはみだすくらい入れて優しく握る。 塩はダシ塩を使っている。甥が珍しく美味しいと目を輝かせたのが嬉しかった。 悪魔握りは天かすと塩昆布、あおのりをご飯に混ぜこむ。天かすがないときはフライドオニオンにしたがこちらも香ばしくて美味しかった。 おかずは甘い卵焼きにしよう。頭を使うときは糖分が必要だな、などと考えているといっぱしの保護者気分だ。 育ち盛りの男の子が足りるだろうかとついつい唐揚げもつけてしまう。 ものすごく食べる方ではないようだが、遠慮しがちな甥は食べることも我慢しそうだし、逆にたくさんだすと無理してでも食べてしまいそうで、本音が分からないというのは難儀だなと苦笑した。  ある日、仕事が早く終わり帰宅すると家の石垣に小さな体を隠しながら覗いている子供がいた。年は…朝陽と同じだろうか。 「朝陽の友達?」声をかけるとピャッ!と飛び退いた。  「ち、違います!」少年らしい高い声で答えるとジリジリと後退りながら逃げてしまう。 なんともいえない気持ちになりながら玄関扉を開けるとトイレからでてきた朝陽とかち合った。 「今…外に友達?いたよ?」と伝えると 「…そう。」下を向いていたまま答えると、さっさと自室に入ってしまった。 喧嘩でもしたのかな?と軽く思ったが関わるつもりはない。 気持ちはすぐ夜ご飯作りに切り替わった。 仕事先の農家さんから夏野菜をたっぷりいただいたのだ。ピカピカの野菜をどう料理するかが楽しみで、仕事も捗り早く終わったのだった。 朝陽はトマトが好きだと日頃の反応をみて分かる。大ぶりのトマトをもらったからラタトゥイユにしよう。 トマトは皮を剥いてザク切りにし、ズッキーニ、茄子、パプリカ、厚切りベーコンもカットして、みじんぎりのにんにくと炒める。 カットのトマト缶、白ワイン、庭のローリエを一枚いれたらあとは煮込むだけ。ほっとこ。 その間に、久しぶりに時間があるからパンでも焼こうか。夕方と言えど暑さは残り、発酵しやすそうだ。 リスドオルを取り出し、湯種を作ってからバケットを作成する。ハードなパンより、日本人にはもちもちふんわりしたパンが好まれるが私自身もその一人だ。 パン捏ね台で汗をかきながらひーひーとひたすら捏ねる。 パンはほとんど初心者だから、見極めが難しいが、一次発酵させている間に添え物を用意する。 北海道の酪農家さんから届いたチーズ各種をカットし皿に盛り付け、ワインは何が合うかなぁなどと考えると、楽しくて鼻歌を歌っていた。 ふと振り返ると朝陽が台所の入口でこちらをみていた。 「あれ?いたの?まだだけど。」と声をかけると 「ひーちゃって…歌下手だね。」と笑った。 笑った顔を久しぶりに見たので愚弄されたことなど気にもならずポカンとした。 「…言ったな?家系だよ?」と返すと 「確かに父さんも下手くそだね。」とラタトゥイユの鍋を掻き回した。 弱火でコトコト煮込んでいたラタトゥイユのトマトはすっかり形を失い、野菜たちと混ざり合っていた。 言葉数が多いわけではないが、パンが焼けるまで鍋を見てくれたり、片付けを手伝ってくれた。 「ラタトゥイユよそって。」テーブルセッティングをしながら朝陽に声をかけるがすでに準備してくれており、一言わずとも百理解する甥が頼もしさより心配になった。 「ラタトゥイユ美味しい。」年頃の男の子には物足りないかと思ったが、お代わりまでしてパンと一緒によく食べた。 そんな甥を見ながら私はと言うと、ほろ酔い気分で酒のつまみを楽しんでいた。 「そういえば昼間の子…。」と話し始めると空気が変わった。 それまで開きそうだった天岩戸が、ピシャリではなくドスン!と閉まる。 「…ごちそうさま。」笑顔が消え、いそいそと皿を片付けると部屋に行ってしまう。 あぁ、だから関わらないのに。酔いは完全に冷め、後悔ばかりが募った。 大人も傷つく。子供との関わりでは傷ついてばかりだ。子供を傷つけたくないのではなく、自分が傷つきたくないから深く関与しないようにしていた自分のずるさを痛感し更に情けなくなった。 風呂に、入ろう。
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