儚き日常

2/22
45人が本棚に入れています
本棚に追加
/129ページ
 キッチンから、隣接しているリビングへ。呼ばれるがまま大人しく従い、彼の隣に座る。向かい合い、躊躇いもなく腕を差し出して傷口を向けた。重力に従って、赤がすっと滑る。  優しい目元が、泣きそうになった。 「痛そう……平気な顔をしているけれど、痛くないの?」  傷口周りの水分や血液を拭き取りながら、問われる。手つきはそっと優しいもので、ふわふわとした心地。まるで、壊れ物でも扱うかのようだ。 「見た目ほどじゃない。浅いから、大丈夫だ」 「ちっとも大丈夫じゃありません!」  きぱっと両断され、互角の切れ味に目を丸くする。瞠目しているおれのことなどお構いなしに、てきぱきと動く彼の手が消毒薬を掴んだ。黙って眺めていると、鋭い痛みが走る。 「痛っ!」 「動かないで」 「いっ、たい! いった! 痛い、痛いよ!」 「浅いから大丈夫だって言っていたのは、どこの誰ですかー? ほら、我慢して。お兄ちゃんでしょ?」 「うっ……おれは、おまえの兄ちゃんじゃない……」  ここでその言葉は、ずるいというものだ。  思わず目を逸らす。長い付き合いの彼には、適当に流されてしまった。 「はいはい、痛いね。すぐ終わるから、じっとしていて」 「ぐ……」  まだ血は滲み出ていたものの、長時間にも感じた消毒薬責めが終わり、おれは詰めていた息を吐き出す。大きめの絆創膏二枚を使用して、ようやく解放された。 「はい、おしまい。もういいよ」 「ありがとう」  琥珀色の瞳をまっすぐに見て、お礼を言う。向こうも微笑み、軽く頷いた。  しかし、刹那。眉尻を吊り上げ、表情を変える。 「どうして、きみは怪我をしたというのに、そうやって笑っているのかなあ?」  不可解なのだろう。不審なものでも見るかのような視線だ。  おれは、自身の唇が弧を描いていると自覚しながらも、問い掛ける。 「おれ、笑っている?」 「どこか嬉しそうにすら見えるよ」 「そうか。やっぱりおれは、笑っているのか」 「何なの? 血を見て、おかしくなったの?」 「おまえは、おれのことを何だと思っている」  苦笑しながら尋ねると、至って真面目な顔つきで、彼は口を開けた。 「何って、相模(さがみ)沙希人、十三歳。正義感に溢れていて、優しくて、弟や妹たちの良いお兄ちゃんで、頼りになる、ちょっとおかしなぼくの大親友で、家族だよ」 「なんだよ、それ。真面目な顔で褒めるなんて、恥ずかしいことを……」  不意打ちとは卑怯な。思わず面食らってしまった。
/129ページ

最初のコメントを投稿しよう!