から傘むすめ

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 ……今日は風が強いので、あの人が咳をしていないかばかり気にかかる。  大八車に縛り付けられ、見世物小屋に売られる道中にある。童女の姿をとった私の体に縄がきつく食い込んでいた。  周囲からの目隠しとしてかけられている襤褸布があおられ捲れて、風の強いことを私に教える。  私は自分を作ってくれたあの人のことを想っていた。 「ずいぶんと大人しいが、見世物小屋じゃあちゃんとしゃべれよ」  布の向こうからのぞんざいな男の言葉に、私は何も答えない。ただ風の吹くことばかりが気にかかっていた。……あの人はすぐに咳をするから。 「あの男、しぶといったらなかったぜ」  待て、連れて行くな――。男の足にしがみ付いて蹴りとばされ、血を流して倒れたあの人。  傘作りを生業とするあの人の家にこの男が押し入ってきたのは昨日のこと。  ――こいつが噂のから傘お化けか。俺が売り飛ばして金にしてやる。  たけ、とあの人は私の名を叫んだ。蹴られ殴られながらも手を伸ばして。  その子は連れて行くな。たけ、たけ――!  初めはただの傘で、自我などありはしなかった。  ある日あの人が傘を売りに行く道中に雨が降った。だのに濡れたままで歩くので、荷から一本の傘が勝手に動き出してその頭上の雨を遮った。  ひとりでに浮いた傘にあの人は目を丸くした。  ――驚いたな……。  あの人の目が向けられて、その時初めて自我を得た。  あの人は存外早く傘である私に馴染み、帰りの頃には片言の会話の相手をしてくれた。  アメデ、ヌレル。  ――そうだなぁ。  カサダカラ。  ――うん?  ……カサダカラ。  ああ、と微笑う。  ――お前は傘だから、私を雨から守ってくれるのか。  嬉しそうに私を見上げて。  ――そうか、お前は優しい傘だなぁ。  傘の姿のまま、あの人と日々を過ごした。  ――童の姿なら本当に自分の子どものようだろうな。  そう言われた次の日には童女の姿を得ていた。元が傘だから一本足のままだったが。  あの人は私を抱え上げ、「本当に俺の子どもになった」と喜んだ。お前は「たけ」だぞ、と名まで与えて。  外を歩く時は私をおぶってくれた。雨が降れば私は傘の姿に戻って雨を遮った。傘作りを見ながら話したり、玩具を作ってくれるのを眺めたりと、それだけの毎日がひどく心地よかった。  独り者のはずの男の元に急に娘が現れたものだから、周囲の人は奇異に思っていたのだろう。童女が傘の姿になる話などすぐに広まった。  ……から傘お化けが憑いてるんだよ。  悪い人間が聞けば金儲けの為に狙われるというもの、押し入ってきた男によって静かな日々は終わりを迎えた。  道中の小屋で男は私を検分した。 「見た目はただの餓鬼じゃねぇか。傘のお化けなんだろう? しゃべらねえんなら元の姿になれってんだ!」  頬を叩かれ、私は元の傘の姿に戻った。 「こりゃあ……本当に化け物か! 薄気味悪ぃな、はは、だが本物だ! お前、今の化けるやつ見世物小屋のやつにもちゃんと見せろや」  ……あの人の傷は痛まないだろうか。叩かれたとて傘の私は痛くなどない。隙間の多い家で、風が吹くとあの人はすぐに体を冷やして咳をした。暖めるものもなく倒れたままでは冷えてしまう。血を流したならば一層寒いだろうに。  どうしてあの時抗ったりなどしてくれたのか。傘の化け物のことなど気にせず見世物小屋に売り飛ばしていれば怪我をすることもなかったのに。 『俺の子だ』  ――痛い。 『本当に、俺の子供になった』  ……痛い。  痛いのはどこだ。傘なのに――痛くなどないはずなのに。  ……あの人がくれた日々が暖かく嬉しかったから、だから今こうしているだけでどうしようもなくどこかが痛い。  たけ、たけぇ――と夜の遠くで声がした。  ばん! と戸が蹴破られ、「な、なんだぁ」と寝入っていた男が声を上げる。すぐさま何かで強かに殴る音が聞こえ、男は気を失った。  ――追ってなどこなければいいと思っていたのに。 「たけ、怖かっただろう」  足を引きずり、近づいてくる。 「遅くなってすまなかったな。傘の姿か。ああ、折れているところがあるな。帰ったら継いでやろう」  頭から流れて固まった血もそのままに微笑む。  私は呆然と、その顔を見上げていた。  ――あの日。童女となった私を抱えて喜んでいたこの人は、私に向けてこうも言ったのだ。  俺はお前のととだぞ――と。 「……とと様ぁ」  人の姿となって縋り付いた。  どうして……どうしてとと様は来たの。また怪我をするかもしれないのに。ひどく殴られて死んでしまったりなどしたら、私は私にくれたその優しさを一生憎んで呪うしかできなくなるのに。  言いたいことは言葉にならず、泣くことしかしかできない。しがみ付いた体は冷えていて、けほ、という咳が耳に届いた。 「どうして……」 「――お前が先に雨から守ってくれたんだ。次には子どもにまでなってくれた。俺の優しい大事な子ども、離れたくなどなかったんだ」  大きな手が私の頭を撫でる。  冷えているはずの掌から暖かなものが伝わって、私の中に満ちていった。
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