【長州】皎の浮き舟

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蝉の鳴く声が耳鳴りのように響いている。 茹だるような暑さの中、人気のない道端に高杉晋作というひとりの若者が退屈そうな足取りで萩の城下をふらふらと歩いていた。 「くそう。今日もお天道様はやたらと機嫌がええのう」 顔を合わせれば発せられる父親の小言に加え、少し前に芸妓遊びの味をしめ近頃では頻繁に色町へ出入りしている事も知られてしまったことで更に大目玉を喰らって半刻を過ぎた頃。 ようやく小忠太が厠に立った所を見計らい、履く間も惜しいと下駄を片手にぶら下げそそくさと家から飛び出したのだ。 季節は夏。風通しの良い造りの家の中でさえ、日中は蒸し暑くなるのに日向の多い屋外となっては笠でも被らなければ頭がおかしくなってしまいそうだ。 シュシュシュ・・・と鳴く蝉の声にも勘に触る。 どうにも収まらぬ腹立たしさに酒でも買って近くの河原にある木陰にでも入って涼みながら飲もうかと懐を探ってみたものの、金を持って出て来なかったことを思い出し足元に転がる小石を履いたばかりの下駄の先で蹴り上げた。 「久坂の所にでも行こうか・・・・・」 そう思い立ったが、すぐに頭を振りその勢いで頬に垂れた汗の筋を袖で拭う。 つい先日久坂の親しい者が亡くなったとの知らせを受けたばかりだったのだ。 普段は「遠慮」という言葉とは無縁の男も、こんな時ばかりは流石に彼の家に押しかける事には気が引ける。 晋作は考えを改め再び目的の無い歩みを進めた。 「あぁ、暇じゃのう・・・・。金も無い。家にも帰れん。行くところも無し・・・・・」 しばらくの間行く当ても無く歩き回っていたのだが、暑さも最高潮に達して喉の渇きにもいよいよ限界になってきた。けれど自ら飛び出して来た手前、そう簡単には戻りたくない気持ちもある。 考えあぐねて結局は自宅の門前まで引き返したものの、そのまま家には帰らず少し離れた場所にある法光院へと駆け込んだ。 ここの住職とは晋作が幼い頃からの付き合いで一言断りを入れさえすればしばらくは置いてくれるだろう。
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