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『そこで何をしちょる!』
と突如頭上から声が降りてきた。
その声の主がよもや目の前の男だったとは。
今でも身の毛もよだつ出来事だったことには変わりはないが、己の貞操の危機だったのにも関わらず笑いが起きてくるのを止められない。
「おい。どうしたいきなり」
志道が怪訝な視線を寄越してくる。
「あはははっ、いや急に君と出会った時の事を思い出したものだから」
「うん?・・・なんじゃそれは」
少々呆れ顔になりながらも、新が自ら話を振ってくることは珍しいことだと、先ほどの不機嫌さは何処かへ吹き飛んだようで、自らの手酌で酒を煽りながら会話の先を促す。
新の酒の弱さも変わらないようだ。
最初の一杯でこんなにも口調が柔らかいのだから、江戸へ遊学に出ている間も酒を嗜むことは無いに等しかっただろう。
加えて饒舌にもなり始めているようであるから、久しぶりのこの逢瀬は遠く離れていた互いの距離を縮める良い機会だと、心地良い新の笑い声に志道もまた笑みを零す。
「だって聞多ったら僕を助けてくれた時、凄い出で立ちで現れたじゃないか」
「あ・・・あれは何じゃ、そのう・・・稽古帰りだったからじゃ!」
口調が乱暴になるのは大概羞恥からか怒っている時のどちらかだ。
「稽古ねぇ。それにしては真剣は勿論の事。竹刀に木刀。何故か打ち壊しの道具なんかも背負ってたな。きっちり防具なんかも纏っていたし。相当重かっただろう?あれでよく返り討ちにされなかったものだと、あの後よくよく不思議に思ってたんだ」
「煩いわ!そのお陰でお前の貞操が守られたんじゃろう。俺に感謝こそすれ接吻の一つでも寄越せばよかったんじゃ」
唾が飛ぶのも気にせず喚き散らす男をまじまじと見つめながら、当時の彼を重ねてみる。
今でこそそんな軽い発言もぽんぽん飛び出るものだが、出逢った当初はそれはそれは純朴でどちらかと言うと控えめな少年だったような気がする。
どこでどう間違ってこのような性格になってしまったのかは付き合いの長い新であっても皆目検討のつかぬところではあった。
「今の君なら言いかねない話だけど」
「なんじゃ、昔の俺は違うのか」
更に体を近づけて真面目な眼差しをくれる。
「うん。こんなに図々しくなかった」
「なんじゃとっ」
あっさり答えると志道は勢い良く腰を上げ、その場に片膝を着いて額をつき合わせる様に迫ってきた。
表情からして本気で怒ってはいないだろう。
口元がやや突き出すように歪んでいる。これは拗ねた時に見せる彼の癖。
「でも、嬉しかったな」
「・・・・っ、なにが」
新の柔らかな微笑を間近で受け止め、志道は驚いた風で目を見開く。
「ん?聞多が僕を助けてくれた事さ」
更に笑みを深くすると毒気を抜かれたように呆ける。
そこがまたこの男の可愛い一面だ。
「・・・・そうか?」
再び畳の上に尻を着いて胡坐をかいた。
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