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意気揚々と敷地に踏み入れると懐かしいものが視界に映る。
幼い頃はこの寺の天狗の面をよく見に来ていたのだ。
度胸試しという名目で、仲間内で夕暮れ時に一人ずつ面の飾られた門前に立ち、二十数え終わるまでその面と目を合わせていなければならない。
という子供ながらにひねりの無い遊びだった。
他の子供達が途中で泣き出したり最後まで数えきらぬ内に逃げてしまったりひどい時には小便を漏らしてしてしまった者までいたのだが、生来負けず嫌いな晋作のこと。
たとえ『怖い』と思ってもそれを表に出さないように歯を食いしばっていた事を思い出す。
今思えばあの出来事のお陰で体は病弱であったものの、同じ年頃の者たちから高杉は弱虫だの腰抜けだのと言われずに済んだと言えよう。
晋作は門前に仁王立ちで構えると、昔は恐怖感を抱いたその面に声を掛ける。
「よぅ天狗。しばらく来ねぇ間に、お前さん随ぃ分草臥れた面になったのぅ」
雨風に吹かれ続けたせいなのか、色が少々くすんで見えた。
恐らく子供の頃は血の色を思わせる鮮やかな朱色にも怖さを感じていたのかもしれないと、周囲に誰もいないと確信していたのか晋作は両腕をそれぞれ腰に当て、見事にふんぞり返った。
声高々に笑う晋作の音と合わせて何処からか、違う音色が重なった。
「だ、誰じゃっ」
「あはははっ。何だいその格好っ・・・」
晋作は姿無き声の主に向かって声を上げる。
誰も見ていないだろうと自信があった分、実は人がいたのだと思うと恥ずかしさが増す。
なまじ色白の肌をしているので羞恥の色が瞬時に顔全体を染め上げた。
「君、面白いね。ここら辺に住んでる人なのかい?」
突如自分がいる門の裏側から声の主がひょっこり顔を出したので、その拍子に晋作は肩を躍らせた。
「あ、驚かせてしまったかな」
見た目だけの判断だが、さして晋作と年齢が離れていないように思える。
しかし今までこんな男を見かけた事がないのだ。
単なる自身の記憶違いなのだろうかと、晋作は黙ったまま目の前の男を凝視した。
「そんなに人をまじまじと見るものじゃないよ」
まだ僅かに頬を緩ませたまま、ゆったりとした足取りで晋作の目の前までやってくる。
「ねぇ君。名前は?」
「・・・・・・・・は?」
「『は』?・・・・・それ、名前なの?」
「ちがうわ!俺は高杉じゃ。高杉晋作っちゅう名がちゃあんとある」
「高杉?あぁ、君があの有名な・・・」
「有名?なんじゃそれは」
「いや、こっちの話。なんだそうか・・・僕はてっきり・・・・・」
「ん?」
「あー、いや・・・」
「なんじゃ。はっきりせぇ」
「あ、いや。てっきりちょっと変わった子なのかと思ったものだから」
「なんじゃと」
小馬鹿にしたような男の台詞に晋作は元々が鋭い目元を一層吊り上げた。
近寄ると男の体格が自身より少しばかり小柄であると判る。
晋作は優越感に俄かに鼻を鳴らすと幾分背の低い男ににじり寄り、腰を屈めて額を突き合わせるような体勢を取った。
しかし、男は全く怯む様子も無い。
むしろ零れんばかりの笑みを浮かべているのである。
『どねえな性格しとるんじゃ、こいつ・・・』
まるで読めない男の態度に痺れを切らしたのは晋作の方であった。
体を起こし、汗の流れる首元に手をやると自身の掌で乱暴に拭う。
「おぬし。自分だけ名乗らんつもりか」
「あぁ、そうだった。僕の名は飯島新(あらた)と言うんだ。・・・ねぇ、晋作君。いつまでもこんな所に立ってないで、中に入ったらどうかな。今日もこの天気だし、そのままじゃ君も暑いだろう?」
さぁ・・・・と掌で即されたのと同時に、まるで自分の家のような物言いだと晋作は首を傾げる。
けれどその疑問はまず、乾いた喉を潤してから明らかにしようと視線の先を行く男の背中を見ながら胸の奥で思ったのだった。
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