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住職はこの気まずい空気を全身で感じ取り、一つ小さな咳をすると二人の間へ入り込むような体勢で両者の狭間で取り交わされる冷たい空間を追い払う。
「昔利助の奴がここに預けられておったろう。その頃事あるごとに泣きじゃくっては懐いていた彼に会いたい。会わせろと言うて手が付けれんでなぁ。わしが使いを出して彼にここに来てもろうては相手を頼んでおったんじゃ」
「奴はとっくにこの寺を出ちょろうが」
「そうなんじゃが、顔を出してくれる内に他の子供も懐いてしもうて、利助がここから出て行くときには今度は違う子供が駄々を捏ねてしまう始末じゃ。ほとほと困っておったら彼が余裕のある時には顔を出してくれる言うてくれてなぁ。彼には本当に世話になったんじゃよ」
「ほうか。・・・・・利助の親戚と言うたな。ではおぬしの身分は奴と同じか、それ以下か」
蔑むような口調で晋作は男を罵った。
「やめい、晋作っ」
身分の低い者が、上士の息子に楯突くものではないと勝ち誇るような気分で晋作は胸を張る。
「やれやれ。とんだ有名人だな君は」
「なぬぅ?」
「ご住職。彼は本当に桂さんの言う、才の持ち主なのでしょうか。僕には正直彼からその様なものは見受けられないのですが」
「桂?何故に桂さんの名がおぬしの口から出るんじゃ」
「それはじゃな、晋作。彼は明倫館を出ておって桂さんの後輩にあたるんじゃよ」
「なんじゃと?!」
驚くのも無理はない。
藩校である明倫館は士分の者でないと入学が許されない所なのだ。
まして、そこには晋作自身も通っている。
しかも自身より年上であったとは。
「元々は身分の低い生まれじゃが、その頃学んでおった塾では大人も舌を巻く程の秀才と言われておってな。それを聞きつけた子の無い藩士が是非養子にと言ってきた。才にも恵まれ、同じ男として羨むほどのこの美貌じゃ。今では晋作の親父殿とそう変わらん家柄のご子息じゃよ」
そうかと晋作は胸の内で呟いた。
物腰柔らかな口調といい、纏う着物の質の良さといい。
顔を突き合わせて言葉を交わしていれば合点がいかない部分が幾つも出てくる。
したがってそれなりの家に養子に入ったとなれば納得のいくことだ。
怒りにまかせて失言してしまったことへの羞恥心からか晋作は俄かに頭を垂れた。
自分が言われた事について言えば充分に不満は残るが、これについては素直に謝罪の言葉を告げねばなるまい。
ところが、いざ謝ろうと顔を上げてみれば飯島という男、瞳を細めて疑わしげな眼差しを寄越している。
それを証拠に薄い造りの唇から冷たい言葉が吐き出された。
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