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「奴と会ったんか」
しかし言葉を理解した途端に眉を顰めた志道は更に不機嫌さを増したようだ。
「あぁ。まさしく聞多の寄越した文に書いてあったとおりの男だったよ。しかし桂さんも変わったお人だ。何故あのような者に気に掛けるのか僕にはわからない」
「お前、萩に行ったんか」
「ほら。利助が預けられていた寺があっただろう。以前あそこで子供たちの相手をしていたんだ」
「・・・・なんでまた急にその寺へ」
「またお世話になろうと思ってね」
「お前には明倫館での役目があろうが」
「いや。それとこれとは話が別だよ。そう頻繁にとはいかないけどまた来てもいいかと訪ねたらご住職が快く受けてくれたんだ。あの寺で子供たちと触れ合うのは新鮮で楽しい。それはきっと、僕が元々百姓の生まれだからだと思うんだ」
「新・・・」
「でもね、聞多。僕は今の自分も幸せだと思っている。僕は一人っ子で幼い頃には両親共に流行り病で亡くなっていた。それ以来、親戚の家を転々としていたんだ。丁度利助の家に世話になっている時に養子の話が舞い込んだ。あの時僕が養子に出ていなかったらきっと今頃親戚たちに迷惑が掛かっていただろう。君ともこうして話す機会もましてやこんな風に膝を突き合わしてお酒を呑んでるなんて有り得なかった事だろうしね」
「新・・・」
「聞多にも感謝してるんだ。生まれが百姓だと知っても君は変わらず付き合ってくれた」
「身分なんぞ関係ないわ。そんな小さい男だと思うていたんかお前は」
唇を突き出して視線を逸らす。
この男独特の照れ隠しである事を新は知っている。
本来はとても優しい心の持ち主なのだ。
だから時として無意識に彼に甘えてしまう。
「お。聞多が照れてる」
「照れてなぞないわ!・・・・・・・で?」
「で、とは?」
「奴はおぬしの眼にどう映った」
「それは先ほど言ったとおりだけど」
「そういう意味ではない。・・・・・・つまり・・・」
「つまり」
「奴に惹かれたかと聞いちょる」
「・・・・・・・」
二の句が告げないとはこの事だろうと思う。
新は深い息を吐くと男の顎に充てていた掌を取って返し、人差し指で額を突いた。
「痛たぁっ!」
「そんな莫迦げた事を言うのなら帰らしてもらうぞ。今日初めて顔を合わしたばかりの人間相手に惚れたなんだと騒がれたのでは堪ったものではない。まったくお前はどうしようもない阿呆だな」
「阿呆で悪かったな。俺だって好きでそんな事聞いちょるんじゃない。俺は藩校に通うちょった時からお前に惚れておったんじゃ。そらぁもう魂まで抜かれるほどにな」
「武士が国事の為に命を散らすならまだしも、一介の男に魂を抜かれるなどと軽々しく口にするものじゃない。他に知れたら大事だ」
「何とでも言え。おぬしの毒舌もええ加減慣れたわ」
今度は新が顔を背ける番となった。
俄かに頬が熱くなるのが分かる。
これが昼間でなくて良かったと思わずにはいられない。
今己の表情をこの男に知られたならばどんな辱をかかされるか想像するのも恐ろしかった。
「なぁ・・・」
露になった頬を酒により幾分熱を持つ節くれた指が這わされる。
皮膚に触れる硬さが生々しく感じられ、新はこくりと息を呑んだ。
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