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「店で聞いた。何度も云う必要はない。充分、見合うだけのことはしてもらってる」
里見は不思議なことを云う。
意味がわからず琴子は首をかしげた。
「見合うこと、ですか? 何もしてませんけど」
「食事はお詫びだって云っただろう。加えて、仕事中には見られなかった顔が見られた」
「……なんです……かっ……!?」
質問しかけていた声は途切れて、かわりに出そうになった悲鳴を呑みこんで琴子は身をすくめた。
里見が急に身をかがめたかと思うと、その顔が琴子の顔の間近に迫る。
焦点が合わないくらい近づいたところで里見の顔は正面から横に逸れると、琴子の肩の上でふたりの向く方向が真反対になり、互いの顔が見えなくなった。
「普段、しかめっ面ばかりのくせに……伊伏さんの笑顔は反則だ。しかも、おれに向けられたものじゃない」
里見は琴子の耳の傍で訳のわからない不満を漏らす。
声を落としたせいでさらに低音になり、こもった声はぞくぞくと琴子の内部からざわめかせた。
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