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舞い散る桜はきれいで、散ってもなお川の両岸は花で溢れている。1人の青年が橋の真ん中に立ちボーッと眺めて、花見客の喧騒と視界に咲き誇る花々の目に迫るような錯覚が全身に密着していくのを、瞬き一つで記憶していた。
あの人、キレイ。
玉井奈緒は思った。友人と4人で花見に訪れた彼女は、反対岸にあるいわゆるインスタ映えスポットに向かうところだった。同じような目的の人々が行き交う中、橋の中央に立ち尽くす青年の横顔にふと目を奪われた。彼は、桜を見ていた。桜と下を流れる川、雑踏に耳を澄ませているようだった。上品そうな容姿に見合う純粋さを感じて、奈緒はなぜだか胸が熱くなった。それは妙な切なさだった。
「あの、すみません!写真撮ってもらえません?」
青年を通り過ぎようとした瞬間、奈緒は思わず彼の手を取って頼みこんだ。彼女の言葉の端々は明瞭だった。必死に鼓動を落ち着けようとする息切れのせいだ。
「すみません。僕にはできません」
しかし、青年は素っ気なかった。奈緒のささやかな思いへ無頓着に断った。
「ちょっと何してんの?奈緒」
先を歩いていた友人たちが振り向いて尋ねてきた。吃驚して立ち止まっていた奈緒は、目の前の青年の嫌味なほどに通った鼻筋を眺めていた。青年は初めて困惑して見えた。
「奈緒?」
「いや、何でもない!失礼しました!」
直角に近いほど深いお辞儀をして、奈緒が駆け出して行った。友人たちも青年に会釈してから彼女を追いかけた。
奈緒は走りきってから、肩を上下させて濁声で呟いた。
「なんかイメージと違った……」
「なんの話?」
「あっ!一目惚れの話しでしょ!?」
友人たちは面白がっている。背伸びをして覗き込めば、まだそこから橋に立つ青年は見えた。3人が彼を見返して、確かにかっこいいと太鼓判を押している。奈緒は不満げにその様を流していた。
「何て言って、何て言われたの?」
「写真撮ってくださいって言って、僕にはできませんって……」
「なんで?」
「さあ?」
橋の中央に立った。青年の前に4人で仁王立ちした。彼は露骨に訝しんでいた。
「写真!撮ってください」
「できないって、さっき言ったでしょ?」
彼は奈緒の目を見て言った。
「なんでですか?」
その問いに、彼はあまりに大きなため息をついてみせた。
「……他にも、人がいるじゃない。どうして、僕なの?」
少しばかりいら立ったように青年は言った。
「いや、まあ、別に……」
奈緒は気まずそうに友人たちの様子を窺った。皆、失敗を痛感した顔だった。
「じゃあ、他をあたって。……、僕には撮れないんだ。写真っていうものが。なんでか僕は、物事の時間をとどめておく術を持たないらしい」
英介は自嘲の笑いをこぼした。
「は?」
奈緒の心は急速に冷めた。苦笑を彼に返して、逃げるように立ち去った。
「無いよね」
それが帰り道で一致した、その青年への感想だ。
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