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「星になりたいのよ」
宇美は真珠のような涙を流して呟いた。
無機質な病室。ベッドの上で腕に点滴の管をぶら下げた彼女は、病人とは思えない力強い眼差しをしていた。
初めて宇美を見た者は、まさか余命を告げられた身であるとは思わないだろう。
「星って、どういう意味だい」
病人の宇美より遥かにか細く震える声で喜一は言った。
「パパがね、もし男の子が産まれたらコウイチって名前にしたかったんだって」
宇美は目の前のノートパソコンに"恒一"と打って見せた。
恒の字を見て、喜一はなるほどと頷いた。
恒星の恒。
「でも産まれたのは女の子、そう私。だから慌てて宇美と名付けたらしいの」
「それでどうして星に」
「わからない?」
涙を拭って宇美は笑った。
「ヒトデみたいじゃないの。私は海の中の星の紛い物なの」
だから私は本物の星になりたいの。
宇美の声はどんな渚の青より澄みきっていた。
喜一と宇美はそれからしばらく話し合った。
ああでもない、こうでもないと真剣に語らい、長くはない面会時間いっぱいまで議論を重ねた。
宇美の従兄弟にあたる喜一は、理工学部の大学院に通っている。
高校生のころは若き天才と呼ばれていたこともあるほど知識、技術ともにずば抜けた才能の持ち主であった。
しかし、いつもほんの少し詰めが甘いところと人の心に疎いところがあり、大学に入ってからはすっかりただの人になってしまっていた。
宇美の体調は日々悪化の道を辿る。
そのうち薬の副作用で髪が抜け落ちたり、顔が膨れあがったりするのだという。
喜一は大急ぎでプロジェクトを立ち上げた。
ベテルギウス計画。
それが宇美が星になれる唯一の手段であった。
内容はシンプルなものだ。
宇美の体や声をスキャンし、限りなく本物に近い3Dモデルとして活用する。
所謂バーチャルアイドルである。
宇美の体調を考慮しながら何度か撮影と録音を繰り返し、着々と計画は進んでいった。
『こんにちは、セイラです』
画面の中で宇美と瓜二つの少女がそう言って笑う。
宇美はうつろな目で微笑んだ。
「すごい、わたしみたい」
死相が浮かぶ顔を直視できず、喜一は画面のセイラを見て言った。
「これからたくさんの企業が君を使うんだ。もういくつかの広告配信と契約が進んでいるんだよ」
契約料は破格、高性能、何より親しみやすく可憐な少女の姿をしているセイラは近未来を象徴するアイドルとして注目されていた。
決して一過性のブームでは終わらせないように、他の3Dモデルの開発も進め、セイラに準えた幾つかのバーチャルアイドルも発表した。
いつか誰でもない、バーチャルアイドルがメディアや公共の場で役割を与えられるのが普通の世の中になる――喜一はそう確信していたのだ。
「わたし、星になれるのね……」
「ああ、なれるよ」
宇美の言葉はさざ波のように途切れ途切れであった。
「よかった……最後はちゃんと……」
宇美はまた目を閉じて眠ってしまった。
痛み止めを強くしたために宇美は眠ることが増えた。
このままいつか目を開ける日が来なくなることを、誰より宇美自身が一番わかっていた。
『今日の天気は!曇りのち雨、お出かけには傘を……』
テレビの向こうでセイラは元気に天気予報をしている。
モデルとなった宇美はもうこの世にはいない。
喜一が海外でバーチャルアイドルの可能性についてインタビューを受けていた頃、たった一人病室でその短い生涯を終えた。
公共の場の音声案内や、テレビCM、ネット広告、チラシなどあらゆる場にセイラは使われた。
馴染んでしまえばこれほど使い勝手のいいタレントはいない。
これまではカメラマン、音声、照明、美術、プロデューサー、ディレクター、メイク、衣装……たくさんの人が関わることで成り立っていた撮影も、プログラマーが一人、二人でさっさと終わらせることが出来る。
予算や時間の限られた現場でセイラは引っ張りだこであった。
やがて時は過ぎて開発者の喜一も亡くなり、ベテルギウス計画は研究者や開発グループに受け継がれていく。
アップデートを重ね、様々なデータやシステムがセイラに搭載された。
宇美が星になるための計画はこれで終わりではない。
空に輝くベテルギウス。
その光がやがて潰えた時に意味を持つのだ。
『皆さんこんにちは。セイラです』
世界中にある、稼働可能な全ての電子機器のディスプレイにセイラが映し出された。
『突然ですがお知らせです。ベテルギウスの超新星爆発が観測されました』
ベテルギウス。オリオン座の恒星。何百光年も離れた場所で輝く一等星。
『私、セイラは一人の女の子から産まれました。星になりたい女の子でした』
今宵のベテルギウスは月より遥かに眩しく、がらんどうの大地を照らしていた。
『女の子の夢を叶えるために、私はベテルギウスとともに一生を終えるようプログラムされています』
喜一は宇美に約束したのだ。
末長くこの計画が続きますように。そしてベテルギウスが超新星爆発を起こすその時が来たら、セイラの命も終わらせようと。
一人ぼっちで死に逝くことなく、皆に見守られながら最後まで煌めいてほしい。
そう願って。
『今日から数えて3ヶ月ほどでベテルギウスの輝きは消え失せてしまうでしょう。私の活動はその時で終わります』
『寂しいけれど、私を産んだ女の子との約束なんです。どうか私とあの子が星になれるよう、最後まで精一杯輝いていた姿を、皆さんで見届けてください』
『それでは最後の新曲を歌います。聴いてください、星の海で――』
セイラの声はよく響いた。
誰もいないその町に、その建物に。
喜一はいつもほんの少し詰めが甘く、人の心に疎かった。
ベテルギウスより先に、人類が滅ぶことなど考えていなかった。
あとほんの数ヶ月、いや、あとほんの数日超新星爆発が早ければ。
セイラは楽しそうに歌っている。
皆が見届けていると信じて、星になることを夢見て、星々だけが見守る中、たった一人で。
宇宙の遥か彼方、とうの昔に爆ぜたベテルギウスの最期の灯火が轟々と地球に降り注ぐ。
END
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