グラウンド・ゼロ 後編

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その夜は眠れずに、ずっと深夜TVで、崩れてゆくワールドトレードセンタービルの映像をひとりで食い入るように見ていた。 それは奇妙な感覚だった。 まるで自分の心の世界と、地球の裏側でガラガラと崩壊してゆく大きなビルが、完全にシンクロしたようだった。 そして同時にどこか安心感も覚えたような気がする。 明日、病院に行ったら、余命半年と告げられるかもしれない。もっと短いかもしれない。 でも今、リアルタイムで中継されているこのビルの中で、何千人もの人が死んでいっているのだ。そう思うと変に落ち着いた。不謹慎だが、普通の精神状態ではなかったと思う。 * 結局、余命宣告はなく、私はとにかく生き延びる事ができるらしかった。 世界情勢が悪化する中、私は慌ただしく退職し、入院して、2回目の手術をした。取り残しをさらう広範囲切除手術。私の腫瘍は局所再発(同じ場所での再発)が多いからということだった。 よく聞く抗がん剤や、放射線治療などはしなくて済んだが、傷が大きかったためか、手術後も郊外の医療センターにしばらく入院した。 何日かして、真っ白な病室のベッドで天井を眺めながら、私はある事に気付いた。 あの日の、奇妙な感覚が続いている。 軽いショック状態だったのかも知れない。世界とのシンクロ率が異常だった。 病院のベッドで点滴と血抜きと小水を抜く管に繋がれながら、私は同時にもっと大きな世界と繋がっていた。あの日、崩れ去ったワールドトレードセンタービルと、今まさに報復のミサイルが降り注ぐ中東の国々と、傷ついた自分の身体が別のものと思えなかった。 秋の深まる頃、私は退院した。 左足には太腿半周、40針30センチの傷と、周囲の神経麻痺が残った。 世界と自分が繋がったまま、という後遺症も残っていた。 世界から自分が浮いているような気がしながら、同時に繋がっている感覚。 うまく説明ができない。自分でも矛盾していると思うし、言葉にならないのだ。 その奇妙な感覚はその後も時々、顔を覗かせた。 ある時、「この世界の片隅に」というヒロシマを描いた漫画にとても感銘を受けた私は、広島を旅行して原爆ドームと平和記念公園を訪れた。たまたま学生時代の修学旅行で行かなかったので、日本人として一度行っておきたいと思ったのだ。 平和記念資料館の横に、有名な「被爆したアオギリの木」というのが植えてある。 爆風を受けた半分が焼けただれ壊死し、もう半分が青々と茂っているその木を見た時も、この木は私だ、と思った。その木に象徴されるヒロシマ、原爆ドームを中心としたグラウンド・ゼロと呼ばれる場所も。 また、あの時もそうだった。 2011年3月11日。東日本大震災とその後。 フクシマの原発が地震に伴う津波により停止、水蒸気爆発が起き、周辺地域が放射能汚染のため封鎖された。私は余震と輪番停電に翻弄される東京で、マスクと水の心配をしながら、日本列島と自分の身体が重なったように感じられてならなかった。 フクシマは、まるで日本の腫瘍のようだった。泣いているようだった。 これらは全て精神に異常をきたした人の妄想のようだ。 分かっているのだけれど、普段の、平常な意識のもう一段下に、常にこの感覚がかすかに流れているのだった。 * 話は戻って。 ニューヨークのワールドトレードセンタービルの跡地を、ヒロシマと同じ「グラウンド・ゼロ」と呼ぶ事に否定的な意見があることも知っていた。でもそれとは関係なく何か、行けるなら行ってみたいと思ったのだ。あの夜、ブラウン管を通じて世界で一番近くに感じた場所に。 Chieさんとのアメリカ道中は詳しく書き出すと大長編になってしまうので、また別の機会に譲る事にして、とにかく… 2018年12月1日。 私はニューヨークにいた。 しかし!ここまで書いておいて何だが、結局グラウンド・ゼロには行けなかった(汗) スケジュールがタイト過ぎて寄る暇がなかったのだ。 夜行バスでマンハッタンに着くなり、走ってイベント会場までギリギリでたどり着き、終わるとまたダッシュでバスステーションに向かうという弾丸行程だった。グラウンド・ゼロどころかニューヨークまで行って自由の女神すら見なかった(苦笑)。 でもイベントに参加するというメインの目的は果たせたからいいか、マンハッタンには行けたわけだし…と、帰りの飛行機の中で疲れと心地よい達成感に浸りながら、私はさとるさんのワークショップを思い出していた。 この妄想的な話はさとるさんにも聞いてもらったのだった。 誰にもした事がない話だった。頭がおかしいやつと思われるかも…とちょっと思ったが、さとるさんは事も無げに「なるほど、つまりハナさんの経験が世界とフラクタルになっている感じがしているのですね」と言った。 フラクタル。部分と全体の相似。 ずっと、ずっと表せなかった事が言葉にしてもらえた感覚があった。 「そうか、そう言うんですね!そう言えばいいんだ…」 ニューヨークに、ヒロシマに、フクシマに、そして私の身体にもあるグラウンド・ゼロ。 それは世界が傷によって共鳴する場所。 座席の前のモニターには、リアルタイムの航路がCGの地球の上に映し出されていた。もうすぐ夜の半球に入るところだった。 地球はガイア。ひとつの生命体だという説を聞いたことがある。 さしずめ私たちは一個の細胞、赤血球や白血球や…ウイルスのようなものかも。 これは私の妄想です。 私は日本からニューヨークに運ばれ、何かの成分を彼の地に置いて、代わりに何かを受け取って帰るのだ。その意味はこれから分かるかもしれないし、分からないかもしれない。ただ何か地球にとって必要なことをしているのだ。謎の確信が胸にあって離れなかった。 地球上の、かつて傷ついた全ての場所に、私たちは旅し、または留まり、思い馳せ… 循環しながら、生きている。 機内の照明が落とされ、飛行機は夜に入っていった。 第2話 Fin
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