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私は耳を澄ませた。確かに微かにピアノの音が聴こえてきた。目の前の家から。
そこで私は違和感の正体に気がついた。
人が住んでいる気配がしないのだ。
平日の昼間、どの家も仕事や買い物で人はほとんどいないだろう。だが、生活感は感じられる。しかし、目の前のこの家には生活感がない。なのにピアノの音が聴こえてくる。
どういうことだ。
「都市伝説だと思っていたんだ。生活をおろそかにしてまで何かに熱中してもいいことばかりじゃないぞと、教訓的な言い伝えだと思っていたんだ。この町の誰もが」
町長が話し出す。
当たり前だ。人間が緑に変色してバケモノになるなんて、そんなこと現実にあり得るわけがない。
「彼は、ピアノにのめり込んだ」
町長はその家を見つめながら、そう言った。
『のめり込んだ』
その言葉と町長の意味深な態度、そして今さっき聞いたばかりの言い伝えが私の頭の中で合わさり、鳥肌が立つのを抑えられなかった。
「……どういうことですか」
自分の頭に浮かんだ考えを打ち消すように言葉を絞り出した。そんなこと、あってたまるか。
「一人息子だった。母親は、ピアノで音大まで出たが、プロの演奏家としてやっていくことは出来なかった」
町長は話を続けた。
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