第12章 君が考えるほど、音楽は君を簡単には手放さない。

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久しぶりに会った山岡くんに心配そうに尋ねられてしまった。 「う、ーん。…今はね。ちょっと、お休みかな。あのさ、次どこ受けようかなって。だんだん自分でも迷走してるなあっていうか。どの業種を志望したらいいのか判断がつかなくなってきちゃってさ」 久々にスミレさんのバンドとコラボライブ。メンバー全員とも友達な山岡くんは当然のように楽屋フリーパスだ。 演奏のあと、スミレさんとわたしの着替えが終わり男性陣が導き入れられ、わらわらと化粧落としや身支度を始めたざわめきに混じって一緒に楽屋に入ってきた彼は何かを見透かすようにじっとこちらの顔を覗き込んだ。 「…いろいろ大変な思いがあるのはわかるけど。本気で就職したい気持ちがあるなら、挫けてたらとにかく何も始まんないよ?それとも地元に帰るとか。専業主婦になる?」 「いやぁ、…それはないな。向こう帰った方が仕事の口ないかも。…ああ、でも。無職じゃ東京で住むとこもなくなっちゃうか。学生会館は卒業したら出なきゃいけないもんね」 これまではもふかちゃんならきっと大丈夫だよ、可愛くて素直で明るくて好感度高いし頭良さそうだもんとか元気に励ましてくれてたのに。時期的にそろそろやばいと彼もうっすら感じ始めたのか。いつになく厳しい現実を突きつけてくるその台詞にまた凹む。 「そしたら、いよいよどこからも内定もらえなかったら。選択の余地なく栃木帰るしかないのか。向こうに戻ってもバイトしかなかったりして、働き口。…それに。一旦帰ったらもう二度と東京に出てくるチャンスないだろうなぁ…」 思わず遠い目になるわたし。山岡くんは叱咤するように語気を強めて発破をかけてきた。 「しっかりして、もふかちゃん。地元に戻って二度とこっちに出てこないなんて俺やだよ。それとも結婚する?そういう手もないこともないけど」 「うーん、今どき。共働きじゃなく専業主婦の奥さん扶養できる職種ってそんなにあるもんかなぁ」 「え、どうだろ。…あんまりシビアに計算してみたことないけど。言われてみれば」 既に内定をいくつかもらってる山岡くんは、身支度の終わったわたしと並んで楽屋を出ながら漠然と思い巡らすように視線を宙に彷徨わせた。今日のこのあとの打ち上げも当然のようにこのまま参加するつもりなんだろうな。わたしももういちいち口に出して誘いもしない。 「そうだなぁ。結婚、となると当然実家は出て独立しなきゃだから。確かに家賃の分大変だよね。選択肢としては社宅のある会社か…、ないこともないけど。あそこは確か入社後数年間は地方って決まってるんじゃなかったかな…。でも、もふかちゃんがそれでもよければ」 おそらく自分が内定をもらった会社を思い浮かべてるに違いない。わたしは肩をすくめて答えた。 「それって東京を離れること前提でしょ。結局ここにいられないのは同じじゃん。…それに、そこの内定もらったのはわたしじゃないもん。そうかぁ社宅とか寮のある会社ね、うん。そういう選択の仕方もあるのか。…でも、福利厚生の充実した会社って。多分みんな、大企業だよね」 そういうとこはもう内定出ちゃってるよなぁ。と重いため息をつくと、彼はけろっとして口を差し挟んだ。 「だからさ。そういう会社に入った相手と結婚すれば自分もそこに住めるじゃん。この際、利用できるものは利用しちゃえば?」 「無茶苦茶なこと言うなぁ…」 軽い口調でそんな提案されてもさ。現実はそう甘くないって知ってるもん、わたしだって。 「今どき結婚頼みは危ういよ。住むとこだって収入だって、離婚しちゃったらゼロ、何も残らないじゃん。生活の基盤が他人任せなのは怖くない?」 「…何で離婚すること前提…」 隣で彼がぶつぶつ言ってる。わたしは譲らず頑として答えた。 「一般論だよ、もちろん。でも結婚後相手のどういう面が出てくるか絶対ってことはないしさ。いざという時のリスクヘッジしておくのに越したことないでしょ。それに離婚以外にもいろんなケースが考えられるよ。病気して旦那が働けなくなるとか。会社が倒産するとか、死別だって」 「…そんなこと言ってたらどんな選択もできなくなるんだよなぁ…」 割り切れない顔つきの彼を促してライブハウスを出ようとエントランスに向かう。そこでどなたかと立ち話中の支配人に会釈して邪魔しないようにそっと立ち去ろうとすると、表情をやけに生真面目に改めた彼に呼び止められた。 「もふかちゃん。…今、ちょっと時間いい?」 「ええと、はい。このあと打ち上げありますけど。それ以外は特に」 何だろ。またどこかのバンドの代打の依頼かな、と上目遣いに答えると、岡庭さんの前に立っていた男の人が振り向いてわたしに目を留めると穏やかな笑みを浮かべて話しかけてきた。 「P.S.-ccのもふかさん。さっきのステージ観させて頂きました。素晴らしかったですよ、さすがですね」 「いえ。お客さんで添え物ですので、わたしは。気楽に歌わせてもらいました。ステージがよかったのはSparking =Strikeの皆さんの力ですから」 慌てて出来るだけ謙虚に答えつつ、さっと頭を巡らせて記憶を探った。 さっきのライブはゲスト参加だから、わたしの本来所属してるバンドの名前がすっと自然に出てきたのは違和感。前もってこっちのこと知ってたってことか。でも、わたし。この人に会ったこと、…ないよな。 業界の人っぽい印象じゃない堅気な服装と髪型。もちろんきちんとしたスーツでライブに来る人はゼロってわけではないけど。会社帰りで着替える余裕もなく駆けつけるお客さんもいるわけだし。 でも、やけにもの慣れた態度で支配人と勝手知ったる様子で話してるとこを見ると完全に部外者ってわけでもなさそう。出入りの業者さん?…にしては。ずいぶんゆったりと落ち着いてるなぁ…。 彼は思い当たったようにポケットを探り、きょとんと立ってるわたしの前に名刺を差し出した。
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