第12章 君が考えるほど、音楽は君を簡単には手放さない。

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「あ、申し遅れました。わたくしこういう者です。突然で驚かれたでしょうが…。あの、もふかさんは今のところデビューについて前向きというわけではないと。ちょうど岡庭さんからお聞きしていたところなんですが」 隣から顔を寄せて覗き込んできた山岡くんと二人でその名刺を見つめる。…この社名は何だろ。エンタテイメント、と入ってるから。 …芸能、関係の会社? ライブハウスなんだからその手の人が出入りしててもまあおかしくはない。でもそれとわたしと何の関係が、とぼんやりと考えてるところに彼の温厚そうなもの柔らかな申し出がいきなり耳に飛び込んできた。 「一緒にやってるバンドの皆さんも進路が大体決まって、卒業したら解散になりそうだと伺ってます。そこで、ご相談なんですけど。…もふかさんはわたくし共の会社とマネジメント契約する、というのはいかがでしょう?あなたのその才能を埋もれさせておくのは勿体ない。…悪いようには致しませんよ」 「それで」 堂前くんの静かな声が耳を打つ。わたしは彼の反応を恐れて思わず首をすぼめた。 「…結局断っちゃったのか。早くも」 「うん。まぁ…」 言葉を濁しつつ目の前のコーヒーの紙コップを両手で包んで視線を落とす。勝手に一人で決めて、って怒られるかな。でも仕方ない。もう終わったことだ。 場所はライブハウスの事務室。一応応接用にか、テーブルを挟んで両側に椅子が置かれていて、わたしは堂前くんと並んで座っている。向かいには支配人の岡庭さん。二人はわたしの返答を噛み締めるようにじっと黙っている。次の台詞がどっちから出てくるのか。…あんまりいい反応ではなさそうだなぁ。 どうしてそう何事にも後ろ向きなんだ、って二人がかりでお説教喰らわされるのかも。 申し出を受けたその現場に居合わせた山岡くんが即バンドのメンバー達に、もふかちゃんが今スカウトされたよ!ってLINEで触れて回ったのであっという間にみんなの知るところに。案の定すぐさまわたしの保護者(堂前くん)から連絡が入り、 『どう決断するにしろじっくり検討して。急かされても焦って決めるのは禁物です。迷ったらいつでも相談して。気持ちが決まったら間を置かずに早めにこちらにも報告してください』 といつになく念入りな注意書きが送られてきた。信用ないことが丸わかりだ。 それで、岡庭さんに経過を報告しつつその場に堂前くんにも立ち会ってもらう次第になったわけだけど。まさかの既にわたしは断り済みだった、っていう。 「意外だね。また優柔不断のもふかちゃんのことだから。どうしていいかわからない、決められないって迷ってる最中かなって、てっきり」 わたしの向かいに腰を下ろした岡庭さんが苦笑気味に感想を述べる。声の調子が明るいのは、縮こまってるわたしの気持ちを引き立てようとの心遣いからなのかもしれない。 「◉◉エンタテイメント、って。かなり有名な力のある芸能プロダクションだし、怪しい会社ではないよ。この前も言ったと思うけど。デビューをちらつかせて水着のグラビアやらされたりAV紛いのビデオに出演させられたりとかはまずないと思うけど」 「別にそれが心配なわけじゃ。そんなニーズならわたしのとこ来ないと思う、普通に」 思わず真顔で返してしまう。てか、そういう人材ライブハウスで見繕わないでしょ。歌える必然性ゼロだし。 いくらでも街中に可愛くて綺麗でスタイルのいい子溢れてるんだからさ。小学生体型の水着姿って。余程のマニアにしか需要ないと思う。 「就職先決まってないんだろ、結局。今のところ」 堂前くんに静かに尋ねられ、背中がひやっとする。 「…うん」 「普通の仕事してごく普通の人生を送る、音楽は趣味でいいから続けたいって言ってたけど。なかなか決められないのはやっぱり平凡な社会人になるのがどこかでしっくり来ないからかと思ってた。自分からがむしゃらにデビューを目指す気はないとしても。向こうからチャンスが来たのに掴まなかったのは何で?やっぱり、歌うことは本業にするほど好きとは言えない?」 「そうじゃない」 わたしは首をぶん、と横に振った。 「就活してて思ったの。いろんな会社を調べて、受けて。でもどんな職種かどうかに関わらずつい考えちゃう。この仕事をしながらでわたし、歌い続けられるのかなって。片手間に音楽を続けられそうもない仕事量とか環境とか。配属の関係で東京を離れなきゃいけない可能性もあったりして…。そうすると絶対ここに受かりたい、って気持ちがどうしても鈍っちゃう。それが先方にも伝わるのか。今のところどこからも色よい返事がもらえなくて。…でも」 それまで胸の内側に閉じ込めてた思いがどっと溢れてきた。
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