第12章 君が考えるほど、音楽は君を簡単には手放さない。

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多分バイトとか契約社員でも穴は埋まったのかもしれないが。そこはわたしの両親を心配させないようにか、きちんと正社員の扱いにしてくれたのは実に助かった。岡庭さんの家の方に足を向けては寝られない。どこに住んでるのかもちろん知らないけど。 概ね既に進路が決まっていたバンドのメンバーもみんなわたしを祝福してくれた。ありがたい限りだ。 「まあ、ちょっと残念といえば残念か。結婚に持ち込む絶好のチャンス逃したな。でも就職してからでも急に必要が生じたり誰か頼らないと困る事態になるかもしれないしね。その時は遠慮なく申し出てよ」 お祝いに、とわたしを食事に連れ出してくれつつ変な悔しがり方をする山岡くん。その台詞に、もしかしてあの時いきなり身の振り方の選択肢に混ぜ込んだ結婚は、自分とのって意図で出してたのか。と遅まきながら気づく。てっきり相手は誰とも限らない一般的な話かと。 その気軽な悔しがりようから見ても半分以上冗談だろうな、と受け取れるのでそれほど気にはならないが。わたしは笑って彼の軽口をいなした。 「困ったり行き詰まったりしたら愚痴聞いてもらったり相談はするよ。そういう意味ではもちろん頼るけど、結婚はないな。逃げ場に使うのは駄目だって言ったじゃん。大体山岡くんの人生の方が大事だよ、わたしなんかより」 「そうかなぁ。あんまり深く考えない方が。ああいうのは勢いでいいんだと思うけど」 したこともないのにどうしてそんな自信満々でけろっとそれ、言えるかな…。 山岡くんと海くんは一般企業(二人ともかなり有名な大手の会社だ。さすがコミュ強者…)、はまちくんは自分の大学の附属の高校の先生に決まった。堂前くんも希望通り院に進学して今までの研究を続ける。 そうすると、同じ研究室の講師であるあの女性ともこれからも一緒ってことか。と胸がちくちくと痛んだけどその話を彼に対して再び持ち出す気にはなれなかった。 好きな人の話をするときの微かにもの柔らかなあの表情と声。今でもくっきりと脳裏に焼きついて消えないままだ。 あんな思いをまたするくらいなら。正直彼の好きな人なんか別にいなかったことにして意識の奥に押し込めてただ黙っている方がいい。 就活が終わってみんな進路が決まれば以前みたいにバンド活動再開できるかな、と期待はなくもなかったが、やっぱりそれぞれそれなりに忙しい。 堂前くんは相変わらずだけど山岡くんや海くんは内定した会社に呼び出されたりすることもあるようだったし、わたしも半分研修みたいな感じで既にライブハウスでバイトを始めていた。 はまちくんはさすがに学校は四月からだってことだったけど。みんな当然卒論もあるので、バンドを始めた二年生の頃のようにはいかず途切れとぎれの活動になりがちだった。 そんな中でも何とかライブを決行した四年の終わり近く。その日も打ち上げをしようとしたら珍しくどこの居酒屋も満席で、なかなか腰を落ち着けるところが見つからなかった。 だからといってここで解散もなぁ、と彷徨いつつ、電車乗って別の街へ移動するか?となりかけたところでふと山岡くんが裏通りの片隅に目を留めた。 「あ。…あそこに目立たないけどバーの看板があるよ。もしかしたら空いてるんじゃない。地下で入りづらそうな雰囲気だし」 と言い残して全然入りにくそうな様子もなくすたすたと階段を降りて行く。 「地下だから入りづらそうって何?」 「さあ…、一見さんお断りっぽいってことじゃない?誰でもふらっと気軽に立ち寄ってね、ってつもりならもうちょい看板でかくして客呼び込もうとするんじゃないの」 と手持ち無沙汰に話し合ってると、栗鼠のようにするするとまた階段を昇ってきた山岡くんがちょこんと顔を覗かせて手招きした。 「席、五つ空いてるって。大丈夫、おいでよ」 それがのちにわたしの行きつけの店となるバー、『Next Door』の初探訪だった。 地下へと続く階段を降りて重い扉を山岡くんが押して開く。まるでここの従業員みたいにわたしたちを中へと招いた。 「さ、ご遠慮なく。奥のカウンターにどうぞどうぞ」
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