第12章 君が考えるほど、音楽は君を簡単には手放さない。

10/12
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ
君はどっち側の人間なんだ…。 恐るおそるみんなの後ろから中をのぞいてみると、かなり店内は狭かった。カウンターの他に小さなテーブル席が三つほど。そっちは見たところ全部埋まっていて、六席あるカウンターは一席以外がら空きだった。山岡くんが空き席数を尋ねたので、マスターが気を利かせてカウンターのお客さんたちに移動をお願いしてくれた、ってことはあとで知った。 実に温厚そうなもの柔らかな物腰のマスターがにこにことわたしたちを迎えてくれた。一番端の席に座っているどこか中性的な年齢不詳の男性は常連客らしかった。彼もまるでここに所属してるみたいに完全に内輪の立場の人の態度でどうぞ、いらっしゃいとわたしたちにフレンドリーに声をかけてくれる。 「何とかぎりぎり、…全員座れるね。まあ、よかったよかった」 山岡くんがその場を仕切ってわたしたちを順番に奥へと詰めさせる。彼が自分より先にわたしを座らせたところでマスターの視線が軽く戸惑ったようにこちらの上を彷徨った。 「えー、と。…お嬢さんには。こちら、かな?」 後日ご本人から伺ったところによると。その日堂前くんと海くんは自分の楽器ケースを抱えてたので、近所のライブハウスに出演したバンドの子たちかな、ってことは推察したけど、みんなの影に隠れるように入ってきた小柄なわたしの姿は最初視界になくて。改めて目に留まったときはメンバーの誰かの妹か何か、と思ったらしい。 アルコールとは別のソフトドリンクのメニュー表を親切に渡された。まあ、チェーンの居酒屋ではいちいち年齢確認まではせずに何となく大学生の中に混じってるから多分同年輩、見て見ぬ振りをしようと思われてスルーされることも多いけど、カラオケボックスなんかではやっぱり今でも身分証明書を…と遠慮がちに言われることがなくもない。慣れてるとはいえそろそろ大学も卒業して社会人になるところなんだけどさ、もう二十二だし。てか卒業して程なくすぐに二十三歳だよ?と憮然となりつつわたしは素早くバッグから運転免許証を取り出して彼の顔の前に突き出した。 マスターはそれを眺めて、慌てて焦った口調でわたしに謝った。 「大変失礼しました。…えーと、その。非常にお若く可愛らしく見えるものですから。申し訳ありません」 「いいんです、よくあるので。そちらもお仕事ですから。お気になさらず」 手を振って免許証を引っ込める。マスターの言動に対して腹が立たないのは事実だが、居並ぶバンドメンバーの皆が肩を丸めて小刻みに震えて笑いを抑えてる(もちろん堂前くん以外)のがありありと伝わってくるのは実に苛立たしい。 その日は周りの他のお客さんの迷惑にならないよう、そこそこお行儀よく楽しく飲んで店を引き揚げた。 その後メンバー全員でそのバーに行くことはなかったが、わたしにとってはライブハウスに近いってことは職場の近所でもあるから。山岡くんと二人で顔を出したり、堂前くんと軽く立ち寄ったりしてるうちに自然とマスターや常連客の人たちとも顔見知りになっていった。 研修を兼ねたバイトやゲスト出演でライブハウスに足繁く通ううちに、その街が次第に親しみのもてる馴染んだ場所になっていく。わたしはある日ふと思い立って堂前くんに相談を持ちかけてみた。 「思うんだけど。卒業するとどのみち今の学生寮を出る必要があるじゃない?いっそライブハウスの近所に住めたらどうかなあと思うんだけど。ちょっと繁華街が多いかな。家賃高そう?」 彼は思いの外前向きにその案を肯定してくれた。 「ライブハウス周辺は商業地区だし少し落ち着かないけど。あの辺りは大通りから外れて奥に行くとそれなりに住宅地もあるから。意外に住みやすい街かもしれない。それに何より職住近接なのがいいと思う。物件探してみる価値はあるんじゃないかな」 「でもそうすると、堂前くんの住んでる駅からは離れちゃうか」 それはやっぱり残念だな。と名残惜しい気持ちで呟くと、彼は無表情に肩をすくめた。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!