第12章 君が考えるほど、音楽は君を簡単には手放さない。

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「それは気にすることない。普段僕は板谷を送っていけるわけでもないし。それよりは職場の近くに住んでもらった方が心配がなくて助かる。…ああ、でも。住むところは一応安全面を確認させてもらうよ。一人で勝手に合点して決めないように。どうも板谷は危機感が足りないから。家賃が安い、とかそういう面を優先してきそうだし」 実に信用がない。 「さすがにセキュリティのことは気にするよ。…うーん、だけど。お給料安いっていうし、あんまり高いとこは住めないかな…」 思わず自信なく口ごもるわたしに、彼は素っ気なく言い放った。 「他を切り詰めてでもそこはきちんと考慮して」 「…はい」 結局、岡庭さんが気を利かせて専属歌手手当という名目の家賃補助を少し上乗せしてくれた。おかげで狭いながらも一応オートロックのついた部屋をライブハウスの近所に借りられることに。 山岡くんやはまちくんは引越しを手伝おうか、と申し出てくれたけど。結局は実家の兄が車を出してくれて、家族総出で東京見物がてら手伝いに来てくれることに。 まあそもそも学生寮にはそれほど沢山の荷物も置けないので、引越し自体は大した物量にはならなかった。どちらかというと洗濯機だのキッチン家電だの、それまで必要のなかったものを新しく買い込まなきゃならなかったのが痛かったが。狭い部屋があっという間に更に狭くなったし。 「これじゃベッド置けないな。布団敷くしかないか。ま、俺が大学時代一人暮らししてた部屋よかだいぶ綺麗だしな」 兄が室内を見渡しながら言うと、妹も目を輝かせてわたしに懇願する。 「夏休み泊まりに来ていい?おねーちゃん、ライブハウスに勤めるんでしょ。すごい、都会の人みたい。めちゃカッコいいよね」 「あんたは大学東京にしないの?」 ぐいぐい来るのに閉口しつつ尋ねる。ちなみにわたしは自分がライブで歌うってことは家族には知らせてない。ただスタッフとして雇われた、って説明になってる。ステージで歌うとこ見たい、とか身内に言われても。正直、ちょっとねぇ…。 妹は肩をすぼめて答える。 「だって。国公立じゃなきゃ一人暮らしは無理、って言われてるもん。お兄やおねーちゃんみたいにあたし優秀じゃないからさ。推薦で地元の私立行こうかなぁって。その方がラクだしね」 「華実は欲がないよね」 ある意味感心しつつわたしは呟いた。わたしなんか、ここを逃したらもう地元出るチャンスないって思って頑張ったからさ。結婚するまで一度も家出ないでもいいなんて考えられない。末っ子と上の子の違いかな。兄も大学は東京だったし。 もっとも向こうは大人しく卒業後は地元に帰るあたり、やっぱり長男だなぁって感じはする。一旦家を出たらもう帰ろうとしないところが真ん中の子ならではなのかな。と自分のことなのに他人事みたいに冷静に分析してしまう。家族が嫌とかは全然ないんだけどね…。 そうやって結局、卒業より一足先に引越しも済ませた。もうあとは四月から正式に社会人になるってだけだ。 P.S.-ccとしての最後の卒業ライブも終わってしまった。メンバーそれぞれのファンの中には泣き出す子たちもいたが。 「もふかちゃんはここで働くんだよね。またライブに出てくれるんでしょ?」 「卒業後もいつでも会えるよね。でも、たまにはP.S.-ccの面子でライブもやってよ」 わたしのファンの人たちは事情を知ってるのでみんな落ち着いてる。それでもこのバンドとしての活動は一区切りなのでやはり名残惜しんでくれる人もいる。わたしは大きく頷いた。 「うん。みんな多分東京に残れそうだし。しばらく新生活に慣れるまでは難しいと思うけど。機会があれば声かけあってまた活動再開したいです」 ステージで演奏する予定はもうなかったけど、三月中にできたらスタジオででもいいからもう一度みんなで演奏したいね。なんてことを言い合ってひとまず打ち上げで終了。あとは卒業式だの新生活の準備だのでそれぞればたばたした毎日を送ってた。 そんなある日。突然わたしのスマホに、なんの前触れもなく海くんからLINEが送られてきた。 その日は研修も兼ねてライブハウスに顔を出して、事務作業やら企画の立て方なんかについていろいろ教えてもらってるところだった。 ひと段落ついたところで休憩中にスマホを何気なくチェックすると。珍しく海くんからダイレクトのメッセージが。 グループLINEじゃないんだ、と思いながら内容を確かめてみる。文章でのメッセージの前に何回か、通話が入ってたのがわかった。 『突然で済まないんだけど。キャンセル待ちしてたら今日急遽スタジオが取れた。実は、たまたま浜名の誕生日がかぶったんで、せっかくだからサプライズしようかなと』 へえ。 それで慌てて何度も連絡取ろうとしたのか。わたしは長めの文面を慌ててスクロールする。この内容だったら確かに通話の方が早い。不在にして悪かったな。まあ半分仕事のようなものだから、仕方ないけど。 それで、急だから都合もあるだろうけどもふちゃん今から来られる?との内容だったので、こっちから着信してみることにした。その方が話も早く済むし。 海くんはすぐに出てくれた。 『あ、もしもし?いきなりでごめんね。スタジオ三月中は無理そうと思ってたら急にキャンセル入ったみたいでさ…。それで、何とか豪太は連絡取れたけど。スマホの調子がおかしいらしくて。でも、こっちには向かえそうだって』 「堂前くんは?」 そう尋ねると、彼はごく自然な口調で受け応えた。 『あいつも今こっち向かってる。それで、申し訳ないんだけど。もふちゃん、急遽今からこっち来られる?何せ突然だったから。浜名を招んである時間までに何とか準備しないと。今のところもふちゃんが一番ここの近くにいるみたいだから。他の連中はまだ移動でしばらくかかりそうなんだよ』 「わかった、大丈夫。今から行きます。何か買ってく?」 研修とはいえ時間の空いたときに顔出していろいろ説明受けてるだけだから。用事ができた、って言えば抜けられる。そう思って尋ねると、彼は断ってきた。 『いやそれは平気。てか、取り急ぎこっち来てもらってから相談して何準備するか決めよう。ま、スタジオではあんまり派手なこともできないから…。サプライズでちょっと乾杯して、みんなで演奏するって感じかな。大掛かりなパーティーもできないしね』 「それはそうか。あんまり散らかせないもんね」 それでも、パーティースペース借りるとかだとサプライズにならないか。やっぱりスタジオの方が呼び出す場所としては自然だ。卒業前の最後に演奏する機会としてもばっちりだし。 これで学生最後なんだなぁ、と思うとどこかじんとなってわたしは電話を切った。それから岡庭さんに急な用事ができた、と断って、深く考える間もなく慌ただしくスタジオのある街へと向かった。
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