第11章 どう考えても素敵な夏になった、としか言いようがなかった。

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第11章 どう考えても素敵な夏になった、としか言いようがなかった。

結局、その夏の帰省はお盆の三日間ちょこっと実家に顔出しただけで済ませてしまった。 「大学の夏休みって阿呆みたいに長いんでしょ。一体なんだってそんなに東京でやることがあるのよ?食費だって生活費だって向こうにいればその分かかるだろうし。少しはこっちでのんびりしたら?」 母親はぶつぶつ言ったけど。わたしは伝家の宝刀を持ち出して話をかわした。 「今は就活の始動も昔より早いんだよ。それにバイトだって実は夏休みが一番忙しいくらいだし。こっちで短期のバイトじゃ、時給だって全然少ないもん」 「まあ、そりゃそうだけど。悪かったね、田舎で」 実際にはその分生活費も東京の方がかかるような。だから時給も高いんじゃないかと。内心そう思ったが黙って軽くスルーする。 確かに地元は野菜くらいはさすがにこっちより安い気はするけど。他の生活必需品なんか、下手したら都心の方が割安な場合もあるかも(小売の同業他社との価格競争があるから)。それに何より一番の違いって結局家賃だし。そこは帰省しようがしまいが、八月分もどのみち払っているから影響がない。 というわけで何の未練もなくさっさと短期間で帰省を済ませ、わたしは東京へ舞い戻った。 基本、今回の夏季限定バンドのメンバーは休みの間も東京にいる人たちの集まりなので、お盆の期間中もしっかりスタジオ練習がある。そうそう地元でゆっくりもしてられない。 まあ、その忙しさにかこつけて。結果就活に備えた動きは特に何もせずに終わったってのは事実なんだけど…。 メンバーのうちまず春乃さんは四年生で既に就職が決まってる。わたし以外に堂前くんとオーバくんが三年だが、言うまでもなく堂前くんは院に進学予定。わたしとは立場が違う。 「オーバくんは。…就活とか。もう何か始めてる?」 練習の合間にこそっと尋ねてみると、彼はほとんど無邪気と言っていいほど曇りのない顔つきで何の疑問も持たない、といった風に答えた。 「え?だって、ドラムでどうやってこの先食ってくかとかはいろいろ考えたりはするけど。普通の仕事してもその近道には全然ならないでしょ。むしろ、遠回りになるんじゃない。安心感とか安定に頼ってたら駄目だよね。自分をきっちり追い込んで背水の陣敷かないと」 「ああ、…なるほど」 やっぱりこの人もそっちの口か。まあ、漠然と予想はしてました。 思えばまだ二年生だけどバンド発起人のケータくんだってプロ志向だし。彼も来年になっても就活はスルーなんだろうな。見てると覚悟の違いはわかる気がする。 それに何より二人とも段違いに上手い。いやはまちくんと海くんをディスる気は全然ない、彼らも学生のアマチュアとしては結構な腕だとは思う。でも、ケータくんやオーバくんに較べると何でも吸収してやる、チャンスは絶対に逃さないって貪欲さはないし。そつがなく器用にこなしてるって感じは否めない。 わたしは内心でちょっと圧倒された。これまで、学生の期間だけって割りきってるバンドエンジョイ勢としかやったことなかったから。プロを本気で目指してる人のノリって新鮮なような、とてもついていけないような…。 幸いというか何というか、春乃さんはエンジョイ勢とまでは言わないが卒業後の職場も決まってるし音楽を続けるにしても基本趣味だ。堂前くんも当然そのくちだから、音楽で食べてくつもりの人間二人と趣味の範疇の二人でちょうど半分。こっちが少数派ってわけでは、…あれ? そこまで考えて何となく中途半端な気分で首を傾げる。わたしはどっちなんだっけ。いやプロになろうって覚悟も準備も全然できてないけど。 卒業後にどういう職について。それと並行して楽しく趣味でバンド活動を続けてられてるかどうかがまず全然イメージできてない…。 多分、P.S.-ccのみんなが卒業したあとどうするかがはっきりわからないから余計未来図が曖昧になるのかもしれない。大学四年間で活動は終わり、って暗黙の了解はあるような気はするし。そしたらわたしはそのあと、どこで歌えばいいんだろ? 急にちょっと不安になる。学生の間は気の合う仲間と音楽で遊んで、卒業したら楽しかったねと言い合ってみんなと別れて。それっきり、もうこうやって人前で歌う機会もなく。日常は仕事しかない普通の社会人になっていくのか。 そのつもりだと自分でも思ってたのに。リアルに想像すると意外なほど揺らぐ。ライブを経験して、ステージで歌うってどういうことか知ってから改めて考えると。ほんとに卒業後全くこれなしで自分は平気なのか。そこは正直自信がないかも。 わたしも、春乃さんみたいに。本業は何かしっかり決めても、趣味としてでもいいからなんとかそれと並行して歌うことを続けられるように。例えP.S.-ccが解散するとしても、それに代わる新しい場所を探しておくことを念頭に置いといた方がいいのかもしれない…。 即席コラボバンドの活動期間は一カ月程度なので、集中的にやるにしてもそれほど本格的なことはできない。全員がやった経験のない新曲を仕上げるとか、ましてやオリジナル曲を完成させるとかまでは最初から時間が足りないってわかってる。 それぞれのレパートリーを照らし合わせて共通してできる曲やなるべくみんなが知ってる歌を選んで、突貫工事で四曲なんとか形にする。それで最後にライブで客前でお披露目をするわけだ。
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