タナトス

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「何がわからない?」  と、無表情のままタナトスが聞いた。 「何って――」 「安治がタナトスの教育係であるかどうかがわからない?」 「――うん?」  淀みのないきれいな発音での言い回しだった。思ったより滑らかに話せるんだなと感心しつつ、言われた内容を咀嚼する。 「――タナトス?」 「タナトス」  と、それは頷いた。 「いや、名前を聞いているんじゃないよ。――おまえ、自分のこと名前で言うの?」 「そう」 「そう、じゃなくて。やめなよ」  俺はさっそく、指導するべきところを見つけた。 「なぜ?」  タナトスは無表情なまま、少し首を傾げた。 「なんでって不自然だからだよ。二十歳(ハタチ)過ぎた男が自分のことを名前で呼んだりしないよ」 「タナトスは二一歳」 「うん、聞いた。だから、子どもじゃないんだから」 「二一歳は子どもではない。では何と呼ぶ?」 「――『俺』でしょ」  一瞬迷って答える。『僕』か『私』でも合わなくはないだろうが……。  説明を受けた人は確か、これを『ふつうの人間』に育てたい、というようなことを言っていた。表現は違うかもしれないけど、俺はそういう意味に解釈した。 「タナトスがタナトスのことを『俺』と呼ぶ」 「ん? うん」 「安治も安治のことを『俺』と呼ぶ」 「うん」 「紛らわしい」 「――うん?」  俺は自分の頭に手を置いた。何を言われているのか、すぐには理解できなかった。  紛らわしい――か? 「――いやいや。大丈夫だよ、間違えないから」  はっとして言い返す。しかしタナトスも言い返した。 「同じ呼び方では紛らわしい」 「呼び方っていうか……でも、だって、自分のことはみんな、同じ呼び方だよ。それが当たり前だし……じゃあ『僕』でもいいよ」 「『僕』もいる。別の人と同じになる」 「だって……同じになるのがふつうだから」  そうだよな? と自分に問う。  自分で自分を指す言い方は、みんな同じで問題ないはずだ。だって、自分から見て自分を表すという、同じ行動をしているんだから。 「……うん、いいんだよ、他人と同じでも」 「紛らわしい」  タナトスは意見を変えない。 「いやいや。――あれ?」  首を傾げる。俺は教育係として言葉を教えるのではなかったか? なぜ反論されるんだ? 「――とにかく、自分のことは『俺』って言うんだよ」  結論だけ押しつける。納得するしないは別だ。とりあえず今は、タナトスが自分のことを『俺』と呼んでくれるようになればそれでいい。  それが俺の仕事のはず。 「なぜ?」  タナトスは他意のない無垢な、赤ん坊のような瞳で俺を見た。――振り出しから進んでいない。 「えーと、だから……なぜとかじゃなくって、そういうものなんだよ」 「そういうもの?」 「そう、そういうもの。――男は大抵、自分のことを『俺』と呼ぶ」 「みんな同じだと紛らわしい」  駄目だ。
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