タナトス

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タナトス

 なんでこんなことになっているんだろう。  俺は熱いコーヒーの入ったプラスチックのカップを意味もなく握りしめながら、目の前に座る端正な容姿に目をやった。  そいつはとてもきれいな見た目をしていた。  日本人に白人が少し混じったような、色素が薄くくっきりした顔立ち。瞳はグレーに近く、眉と睫毛は茶色い。  髪は真っ白のすとんとしたロングヘアで、腰の辺りまである。 「タナトス」  と、それは名乗った。  芸能人か何か、テレビに出るような立場だったら人気が出たかもしれない。中身を一切知らなくても、一目で魂を奪われてしまうほどの完璧さだから。  完璧すぎて人間味がない。妖精か天使か――作り物か。  生身の人間だと思わなければ、感動も起きなかった。ただ、見ていると多少の快感は覚える。作り込まれたCGが売りの映画を観るように。よくできている、と。  ――男なんだろう。  男としての生々しさはない。ただ、声は男だった。身長は俺と同じくらいだったから、一八〇から一八五くらい。細身だけど胸は平らだし、肩幅も広い。  女ということはあるまい。  でも――と思いつつ服装を見る。王子様風とでも言うのだろうか、襟元にフリルのついた優美なシャツに白いロングコート、細身の白いパンツ、白いブーツ。  男装の麗人というのはこんなかもしれない。  とにかく白い。  なんで髪も白くしたんだろう、と余計なことを考える。金髪か銀髪でもよかったのではないか。  タナトスは何も考えていないような澄んだ瞳を俺に向けていた。  動かないと蝋人形だ。気味が悪い。 「安治(あんじ)、教育係」  と、それが言った。青年の声なのだろうが、話し方のせいか幼く感じる。 「あ、うん」  戸惑いを隠して返事をする。抑揚のない、人形らしい話し方だ。疑問形ではないが、俺が新しい教育係なのかと質問したに違いない。 「教育係になった――みたい。よくわかんないけど」 「わからない?」 「うん――」  実のところ、俺は自分の状況すらわかっていなかった。なぜここ――研究所と呼ばれる場所に連れて来られたのかも。  俺は一週間ほど前まで、ここの人たちが言う『ソト』の住人だった。つまり、ふつうの日本人だった。  それが――いろいろあって、今はここにいる。簡単に言うと、俺は誘拐されたのだろう。よくわからないけど。  一つ理解できたのは、俺はもう帰れないらしいということだ。俺に限らず、ここの人たちはソトと行き来ができない。  そして俺は残りの一生をここで過ごすために、仕事と住まいを与えられた。  これは順序が逆なのではないか、と思ったが、説明をよく聞いてもそうとしか理解できなかった。  俺はこいつの教育係にされるために誘拐されたのではなく、ここで暮らすために仕事を斡旋されたらしい。  説明を担当した人が「あなたは他に何もできそうにないから」と言っていたくらいだ。  だったら誘拐しなければいいのに……何なんだ。  そしてこのタナトスに言葉を教えるのが、俺の仕事であるらしかった。
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