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何かが何かに化けで出てくるから、化け物。
例えば傘に一本の足が生えていたり。
見た目は人だけと狐の尻尾が生えていたり。
普通の人かと思ったら顔がツルツルで目とか口とか鼻とかがなかったり。
何か普通とは異なる変化があるからこそ、化け物と呼ばれているのだと私は解釈している。
だから、少し前に死んだおじいちゃんがお墓の前に立っていても、
「いやあああああああ!!! 出たああああああああ!!! ぎゃあああああああああ!!!」
などと叫んだりは、私はしない。
叫んでいるのは私の妹だ。
妹ははちゃめちゃに取り乱している。
「アイエエエエエエエ!?!? お化け!!?!!? お化けなんでええええ!!!??!?」
なんで?という疑問はもっともだろう。
なんでおじいちゃんは出てきたのか?
何か言いたいことがあるのだろうか?
そこに対しては私も、なんで? と思う。
けれども同時に妹に対しても、なんで? と尋ねたい。
化けて出るからお化けなのであり、こんなにも生前そのままの——足だってあるし、半透明でもないおじいちゃんを見て、お化け。と言うのはおかしいのではないか?
これはおじいちゃんだ。
おじいちゃんは死んでいるから、これはおじいちゃんの幽霊だ。
しかしお化けではない。と私は思う。
だが妹がお化けと感じているのであれば、どこかに化け物的な要素を感じているからである。
で、あれば、それはどこなのか?
一見しても、私にはわからない。
と、そんな時、おじいちゃんの口が動いた。
「ば、け、も、の……?」
口の動きはそう言っていた。はて? 化け物とは? とこれも疑問に思ったが、すぐに答えは出た。
「ひいいいいいいいいい!!! 悪霊退散!!!! 南無阿弥陀仏!!!! アーメン!!!」
私の後ろで妹が必死の形相で騒いでいた。
涙と鼻水と恐怖で歪んだその顔は、確かにいつもとは異なっていて、化け物と言っても差し支えないくらいなのだが、いくらなんでも姪っ子にそんな事を言うのは如何なものか。
私はおじいちゃんに向かって「それは言い過ぎ」と嗜めると、おじいちゃんはにこりと笑って消えた。
何しに出て来たのかはわからなかった。
この調子だと、またふらりと出てくるかもしれない。
生きていた頃から茶目っけはあったが、死んでもそれは変わらないという事なのか……死と生とは肉体があるかないかの違いだけ……他に違いはないのかもしれない……なんて、死生観について深い思考をしつつ。
やれやれ、と私はため息を吐いて今度は妹に「おじいちゃんは退散したけど悪霊ではなさそうだったよ」とか「南無阿弥陀仏の意味は私は阿弥陀如来に帰依しますだから自分向けの言葉だよ」とか「アーメンは確かにって意味。というか仏教かキリスト教かどっちかにしないと幽霊も困ると思うよ」などとあれこれ言ってみたものの、妹は無視して「フラガラッハ! 魔剣フラガラッハ買ってこなきゃ!」と慌てて走って行った。
それはケルト神話に登場するあらゆる物を両断出来る魔剣……なのだがしかし、そんな神話級のものはここら辺には1000パーセント確実に売ってないんだけど……というか、幽霊とは言えおじいちゃんを斬るとかあんたの方がよっぽど人でなしの化け物じゃないの……そう言えば、見た目の変化だけでなく普通とは異なる、常人には出来ない事をやる人間もバケモノと呼ばれる事があるなぁ……妹がそうなのかなぁ……そうだったら面倒だなぁ……。
化け物の定義とか妹の倫理観とかおじいちゃんの幽霊は今どこにいるのかとか色々な事を考えながら、私は妹を追いかけたのだった。
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