22.霧の壁から現れた物

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22.霧の壁から現れた物

22.霧の壁から現れた物  やがて汚水の上に薄い霧のようなものが覆ってきて、汚水の表は霧の絨毯のようになった。 「危険だ! 二人は下がって!」  法眼はそう言って中山刑事の前に出た。  法眼は姿勢を低くし、顔を左右に振って音を嗅ぎ取ろうとした。両手で何かの波動を掴もうと構えた。  霧状のものは、管路内に広がって、三人は互いの姿が視界から消えそうになった。 「動かないで! 悪霊はばらばらになるのを待っているんだ」  法眼が右手で空を切って唱えた。 「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶般若心経」  法眼の経がマンホール内で反響する。法眼の額に汗が光る。  美子は突然胸を押さえつけられてむせた。  「先生、この圧力は何なの?」  美子が叫んだ。  すると見えない圧力は極大になり、3人を押さえつけた。  それは、まるで巨大な万力に潰されるような痛み、あるいは、突然数百mの海底に落とされたような 痛みだった。  法眼は全身全霊で経を唱え続けたが、痛みで途切れそうになった。 霧状のものはさらに圧力を増していく。  ヘルメットの強化ガラスが鈍い音をあげ始めた。 「もうだめだわ!」  美子は悲鳴を上げた。 「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶般若心経」  法眼は途切れた声で経を唱える。その経がマンホール内で反響した。  突然、霧が晴れた。 全身を押さえつけていた空圧が霧散した。 「助かった? 今の何だったの」  美子がため息をついた。 「法眼さんの経が効いたのですね?」  中山刑事が安心したような顔で言った。  その時、中山刑事の足元で何かが動いた。   中山刑事は汚水にうごめく何かを凝視した。 「え!」  と中山刑事が驚きの声を上げた。  突然、無数の鼠が中山刑事の体を駆け上がった。 「あ!」  中山刑事が悲鳴を上げようとした瞬間、中山刑事の姿は鼠の集団に覆い隠された。  法眼は慌てて両手で鼠の大群を払いのけようとした。が、体は煉瓦の壁に叩きつけられた。目に見えない力が法眼を壁に叩きつけたのだ。  美子も中山刑事に群がった鼠を払いのけようとしたが、見えない力で汚水の中に放り出された。 鼠の無数の目が今度は美子、法眼を睨みつけている。  鼠の大群が中山刑事の防護服を食い破り血肉を貪ろうとした。 「皆逃げろ!」  中山刑事は叫ぶと、電磁棒を自分の足に刺した。全身が稲妻に包まれた。 「ウオー、ウオー」  中山刑事は呻きながら電磁棒を刺し続けた。  高電圧のエネルギーは電圧×電流×通電時間で決まる。通電時間が長ければ死に至ることもある。中山刑事は死を覚悟して美子たちを守るために鼠の大群の盾になった。 「俺に構うな。逃げろ!」  中山刑事の体は汚水の中に倒れ、闇に飲み込まれたが、それでも鼠の大群が中山刑事を襲った。  電磁棒の稲妻がフラッシュのように何度も汚水の中の中山刑事の姿を蘇らせる。ジージーと放電した高音が狭い空間の中で反響した。  防護服が漏電防止でなかったら、放電と同時に汚水面に電流が流れて法眼も美子も感電死したに違いない。  中山刑事は汚水の中から腕を高く上げて拳を握った。 「行け!」  中山刑事の最期の声だった。  中山刑事の体は完全に闇の中に落ちて行った。  美子の瞳から涙が流れた。だがそれを拭っていることはできない。次は法眼と美子の番だからだ。  鼠の群れは美子、法眼を追ってきた。 「美子さん、手を取って!」  法眼が美子の手をとった。  法眼は美子の手を握って走った。  美子は、汚水の中の石に躓き倒れた。  ヘッドライトに照らされた管路の壁が大きく揺れて異様な顔のように見えた。美子は、まるで悪鬼で覆われた中を逃げているようだと思った。  二人は走った。 「美子さん、般若心経だ」  法眼が走りながら言った。二人は般若心経を唱えながら走った。 「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提僧婆訶 般若心経」  般若心経が管路内に響いた。  
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