24.濁流が美子を襲う

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24.濁流が美子を襲う

24.濁流が美子を襲う  右手が手すりを捉えた。左手も必死で手すりを掴んだ。 「やったわ」  美子の顔が緩み、足元の法眼を見ようとした。しかし、法眼は汚水に飲み込まれ、姿はなかった。   美子は嗚咽しそうになり耐えた。目に涙がたまった。しかし、悲しんではいられない。汚水がどんどんマンホールを上がってくる。 「ひぃ」  美子は悲鳴を上げて十メートルの手すりをかけ上った。  美子はマンホールの裏蓋のところまでたどり着いた。マンホールの蓋は腐食して赤茶色に変色し、クモの巣が覆っている。しかし、それを気にする状況ではなかった。   マンホールの裏蓋まであと数十センチのところまで汚水は上がってきた。  美子は、酸素ボンベのSWを入れ、目を瞑った。  酸素ボンベは30分しか持たない。  美子は死ぬのだと思った。  誰も知らないマンホールの底で水死し、やがて腐乱し、そして汚水・汚物と一緒に川に流されていくのだ。  刑事が身元不明者になるのかとため息を漏らしたが、すぐに、考えるのは止めようと思った。  何時間経ったのだろうか。いや、酸素ボンベは30分しか持たないからそんなに時間は経っていないのかもしれない。両手が痺れて、手が離れ、マンホールの底に落ちていくと思った。  美子は目を開けると、汚水が引き始めていた。排水管への川の逆流が収まったのだ。汚水はどんどん引いていき、やがてマンホールの底が見えるほどになった。  美子は重い足取りで手すりを降り始めた。  降りながら、再び駆け上がり、外界に逃げたいという誘惑に駆られた。  法眼や中山刑事を失った。一人で悪霊に立ち向かうのは無理だと弱気になった。それでもマンホールの底に足が着いた。  足が踏ん張っている。  心は折れそうになっても足は負けるなと踏ん張っている。  その時、法眼の声が聞こえたような気がした。……負けないという意志さえあれば勝てる……美子は二人の死を無駄にできないと思い直した。  美子は管路が交差するたびにポラロイドで撮影した。しかし白い影や赤い光が写ることはなかった。美子には法眼のような霊視の力もない。まるで迷宮の中に閉じ込められたようだと改めて思った。迷路の中を永遠に彷徨するのか? 汚水の中に消えていくのか?      寒気が美子の生気を奪っていく。二人を失った悲しみが心を内向きに引っ張ろうとする。  美子は進んでいる道が正しいのか迷った。だが、選択を誤ったと悔やんでも、別の道が良い結果を生むとは限らないと思い直した。  だから、元々正しい道などない。  今歩いている道が正しい道なのだ。  負けないという意志を持ち続ければ、きっとイネの墓に辿りつける。  美子は通り過ぎる管路の壁に蛍光マジックで印をつけながら言い聞かせた。
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