1. 掘削

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1. 掘削

1.掘削  建設現場を囲む仮囲いのフェンスの中から杭打機の音が響いていた。  杭打機のオペレータ山田は、先ほどから腕に伝わるドリルの振動が微妙に軽くなってきたことに気づいた。  山田は、掘削機のドリルの回転数を下げて、探るように、ゆっくり掘削してみた。  ドリルの負荷は急に無くなって、暫くすると、また負荷が大きくなった。  地下に空洞があるのは確かだった。  山田は、掘削機のドリルを引き上げ、ドリルに付着した泥の色合いで、地層を確認した。  20m位のところで、付着した泥の色が変わっていた。その幅(深さ)は2~3m位ある。地下20m位のところに空洞があり、その大きさ(深さ)は2~3mあるということだ。  山田は監督に報告して、本社の指示を仰いだ方がいいと思った。  山田は、作業を止めて、事務所に行った。  10m四方のプレハブ小屋のドアから一番奥の机に監督が座っていた。 「監督、20m位掘削したところに空洞があるみたいなんです。本社に報告した方がいいと思うんですけど」 「空洞は確かなのか? 水脈じゃないのか? 数10センチくらいなら問題はないだろ」 「いや、……もっと大きいと思うですけど」  山田は空洞が2~3m位ありそうだと思ったが、確信はなかったので大きさの断定は避けた。  山田の言葉に監督は苦虫をつぶしたような顔になった。  ボーリングによる建物の支持層の確認や地下水の有無や深さの調査などの地質調査は問題なしと報告していたからだ。  しかし、実際には、試し彫りの本数も岩盤層の確認調査も改ざんしていた。空洞を確認し埋め戻しをして固めてから掘削するとなると、工事は大幅に遅れてしまう。  何より報告書の偽装が発覚すれば務所暮らしになる。 「山田。掘削を続けろ。空洞と言ったって問題ない程度かもしれないだろ」 「本社の指示を確認した方がいいと思うんです。地盤調査が間違っていたら杭うち本数や、コンクリート柱の長さも再検討が必要になりますよ」  山田は以前から工事で改ざんがされ、それに監督が加担しているのではないかと疑っていたので食い下がった。  すると、監督は立ち上がり、山田の襟首をつかんで入口のドアに押し付けた。 「ばかやろ、工事が遅れたらどうする。お前が責任取れんか!」  山田は、監督の激高に怯えた。 「掘り終わったら事務所に来い」  監督は山田を事務所から追い出した。 「……」  山田は無言のまま事務所を出ると、掘削機に戻って作業を再開した。  山田は作業を終えると事務所に行った。  午後7時を過ぎて、辺りは暗くなっていた。  他の作業をしていた者たちは仕事を終えて帰ってしまい、事務所には監督の息のかかった仲間2人しかいなかった。2人は監督のデスクを囲んで何かを話していた。 「監督、やはり本社に報告しましょう。空洞は2メートルぐらいありそうなんです。もしかしたら、もっと大きな空洞かもしれませんし。地震でビルが傾いたら大変ですよ」  事務所に残っていた3人は振り返り山田を睨みつけた。 「いいか、今まで何度も杭打ちで偽装してきた。だが、ビルが傾いたことはない。どこの会社もやっていることだ。幾らほしいんだ。100万でどうだ。OKなら次の現場でも指名してやるよ。次の現場決まってないんだろう?」 監督はそう言って、背の高い男に「封筒を渡せ」と言った。 「そうさ、監督のいうとおり、100万もらっておけ」 背の高い作業員が封筒を開け、100万の札束を山田に見せた。 「金なんて要求してませんよ。空洞があったらビルが傾くかもしれない。そんな仕事はしたくないだけですよ」  山田はそういうと男たちに背を向けて携帯電話を取り出そうとした。 「ばかやろ! どこに電話するつもりだ。お前ら山田を抑えろ」  2人が慌てて山田の背後から羽交い絞めした。  監督は激高して机の上にあったドライバーを取ると、山田の胸を刺した。 「痛いー」  山田は悲鳴を上げた。  監督の突然の凶行に二人の男はびっくりして山田を離した。  山田は胸に刺さったドライバを握って床に崩れ落ちた。 「お前ら共犯だ! 今までうまい汁を吸ってきたんだ。山田が通報したら、俺たちは刑務所行きだ。山田が電話しようとするから、いけないんだ」  監督は興奮したまま二人に言った。  2人は激高した監督が怖くなり頷いた。  暫く間があって、中背の作業員が言った。 「監督? 山田をどうします」 「ボーリングした穴に隠そう。明日、コンクリート杭を打ち込めば、完全に始末できる。会社には2,3日してから欠勤していると言うぞ。お前ら、山田が最近何かに悩んでいたと口裏を合わせてくれ。いいな。もう、引き返せないぞ」  監督と2人の作業員は山田をボーリングした穴に投げ落とした。  何時間経ったのか。それとも何日経ったのか。山田は眼を覚ました。胸を触るとドライバが刺さっている。監督がドライバを抜かなかったのは幸いだった。出血死していたかもしれないからだ。  胸を刺された痛みで身動き取れないはずだが、閉じ込められて殺されるという恐怖が大きく、不思議と痛みは耐えられた。  上空を見ると、はるか上に丸い空がある。  すると、ここは掘削機で開けた穴の底なのか?   掘削では30m位堀ったはずだ。20m位のところに空洞があって、数メートル空洞が続き、そこからまた数メートル掘って、作業は止めたのだった。すると、ここは、地下30m位ということになる。30m落ちて無事だったのは奇跡以外にない。空洞の直径が70センチ位なので落ちる時、体が壁にぶつかり落下速度が遅くなったのかもしれない。しかし、奇跡に感謝する時間はなかった。  山田は腕時計で日時を確認した。朝の6時。すると、刺されたのは昨日の夜だ。数時間で作業が開始され、コンクリート杭を打たれてしまう。助けてくれと叫んでも掘削時の轟音で聞こえないに違いない。第一監督は俺を殺そうとしたのだ。コンクリート柱を打つ作業員は昨日の2人の誰かに違いない。助けるはずがないと思った。  山田は慌てて上空の壁を見回した。空洞に逃げ込めば、コンクリート杭で潰されないで済むかもしれない。 よく見ると、5m位上部の壁に空洞の穴が見えた。 山田は痛みに耐えて体をL字型にして、足で壁を抑え、手を体の後ろにまわして支えると、足を少しづつ上げて壁を上がった。円筒状の壁に横穴を見つけると中に飛び込んだ。  山田は携帯アプリの懐中電灯を使って周りを照らしてみた。下水路らしい。  山田は、この地はかつて鉄道の発祥の地としてモダンな、西洋建築物の駅があったことを思い出した。東京駅ができて貨物用の専用駅に変更になり、関東大震災の火災と、地盤の液状化現象で全てが焼失し広大な空き地となっていたのだ。  煉瓦のいくつかに当時の職人が刻んだと思われる名前と年代が書かれていて、100年前に作られた煉瓦製の下水路だと分かった。中は立って歩けるほど広く、足元に20センチほど汚水が流れている。この汚水を辿っていけば、東京湾に出られるかもしれないと思った。  山田がしばらく歩くと、一気に視界が広がった。  山田がスマートフォンの明かりを上下左右に振ると、それは巨大な洞窟だった。  コンクリート柱と思われるものが何本も打たれている。そのコンクリート柱に近づいて、表面を照らした。すると、ナンバーが印字されている。そのナンバーは見覚えがあった。掘削機のそばに仮置きしたコンクリート柱と同じ形式のナンバーだった。空洞に気づいているのは俺だけではなかったのか? 皆監督から100万円をもらって口をつぐんでいたのか。  その時だった。コンクリート柱の一本が墓石のようなものを砕いていることに気づいた。  山田は墓に近づくと、その前に座りこんだ。  胸の痛みに耐えながら、マンホールを登り、下水道を彷徨い疲れていた。  山田はゆっくり胸に刺さったドライバーを抜こうとした。ドライバーが入ったままだと感染症を起こすかもしれないからだ。しかし、抜いた後で傷口を消毒しなければ化膿するに違いない。幸いポケットには使い捨てのライターがあった。傷口をライターで焼いて消毒しようと思った。  問題は、ドライバーを抜いた後の止血方法だ。  山田はポケットからハンカチを取り出して、小水をかけて濡らせた。小水にはアンモニアがあるから殺菌作用があるかもしれないと思った。その濡れたハンカチを丸めて、胸の5mmほどの傷口に押し込めようと考えた。  アイデアは悪くないと思った。  山田は「オー」と大声をあげながら、ドライバーを一気に抜いた。激痛で体がエビのように折れ曲がったが、再び「オー」と大声を上げながらライターの火で傷口を焼いた。  山田はさらに歯をくいしばり「おー!」と大声をあげながら一気にハンカチを傷口に差し込んだ。  再び激痛が走り悶絶して、しばらく痛みで動けなくなった。  10分位すると、痛みが和らいできた。  改めて墓の周囲を見回した。  よく見ると墓石の中に、経が書かれた布で包まれた物があった。  山田がその布をほどいた。  骨壷だった。骨壺には何枚も護符が貼り付けてあった。 「なぜ護符が張ってあるんだ? まるで何かを封印したみたいだな」  山田はそう呟きながら骨壺を開けた。  すると、止血していたはずの胸の傷口から、鮮血が溢れだし、壺にのみこまれていった。  山田は骨壺を見て悲鳴を上げた。  まるで骨壺の中の骨片が山田の血を貪るように動き出したからだ。  それは、まるで無数の鯉が放り込まれた餌を貪る光景に似ていた。 「骨片が生きてる!」山田は恐怖の声を上げた。  骨壺の中で真っ赤に染まった骨片は、なおも異様に動きながら、やがって繋がっていき、手の骨になった。  突然、その手は骨壺から飛び出して、山田の首を絞めた。 「お前の体はもらった」  地の底から吠えるような声だった。   
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