緊張ジャンキー

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 はたして、広間の片隅でケントの大きな背中が蹲っており、向かいに座った岸本が励ましていた。  岸本さん、と穂高が声を掛けると、彼も首を振る。  岸本は学年はひとつ上、入団はニ年下の期待の右腕である。社会人時代に培ったマウンド捌きで一年目から一軍でも登板し、二年目からはローテ入りという次期エース候補だ。「どうっすか?」と尋ねた穂高に「ダメ」と即答する。 「なんか皆そう言うにゃけど…俺、組合せまだ見てなくて」 「マジ? これこれ」  岸本が寄越したタブレットで確認した瞬間、皆のリアクションが腑に落ちた。思わず嘆息する。ケントの母校の相手は秋の神宮大会では優勝、センバツは準優勝の堂々たる優勝候補だった。 「西の横綱と東北の雄、ゴールデンカードやて」  軽い岸本の声を聞きながら、これは初戦が決勝戦といわれるヤツだ、と思いながら、穂高はまだテーブルに突っ伏したままのケントを見やる。納得感。 「あそこのキャプテン、わりと毎年クジ運悪いような…?」 「夏の初戦でセンバツベスト4以上と当たるの3回目らしいで」  あはは、と岸本は明るく笑う。ファニーフェイスで、若手の中では祐輔と女性ファンの人気を二分しているが、祐輔と張るくらいの肝の太さを誇っている。まあ、だいたい投手はそういう生きものだが。  それにしても、 「今年こそは白河の関越えってゆうてたのに…」 「せやなあ、そろそろ獲ってもええじゃろとは思うけど。まあ、前はおまえに阻止されたかんね」  こういうことをさらっと言うのも岸本ならではだ。彼が言うと嫌味にはまったく聞こえないが、当事者としては少し戸惑う。 「や、阻止したのは俺やのうて圭一郎で…」 「妬かないの。俺なんか、そもそも最後は出とらんし」  あっけらかんと言う岸本は、瀬戸内有数の古豪の出身だが自身の代での甲子園出場がないのだ。いくつになってもこの時期、チームメイト間で微妙なパワーバランスが生じる。  やはりそれくらい…  トクベツなのだ、夏大は。 「悲観してもしゃあないけどな。トーナメント戦はどうなるか判らんよ。特に夏の初戦はむっちゃ難しい」  岸本の言はもちろんその通りで、穂高もそれはイヤというほど知っていた。  ただ、今春準優勝校は黄金世代との呼び声も高い。そこと当たるだけでもプレッシャは相当なものだろう。  なおスポーツ界のみならず、そういう年が数年おきにあるもので、飛び抜けて優秀な人材が多い年がある。近年だとO谷F浪世代だろうか。 「あとコイツの従兄弟だっけ、いるんやろ?」 「ああ、ほとんど弟みたいなもんゆうてましたね」  ケントは長子で妹が一人いるが、近所に四つ下の従兄弟がいる。ケントに倣うように野球を始め、後を追いかけて名門校の扉を叩く。そして今年、ようやく兄貴分と同じく聖地に辿り着いた。背番号は二桁だがムードメイカとしての役割を担い、ケントの血縁ということもあって、ちょいちょいメディアにも取り上げられていた。 「晴れ舞台やないか。満員札止め必至の大一番、むしろ喜んでやれよ」 「…無理っす」  蚊の鳴くようなケントの声に、穂高も「しっかりせえ」とばしっとその背中を叩く。 「ま、現地は無理でも、見れたら皆で見ような」  岸本の爽やかな笑顔で押し切られ、穂高は曖昧に頷く。天候もあるしスケジュール次第ではあるが、それはそうなるだろうとも思った。  うううと呻くケントに「ま、弟分を信じようや」と声を掛けながら、穂高はあの黄金色の夏の結晶のような球場を思い出していた。
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