緊張ジャンキー

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「あっ」  穂高の声は音になったか。  まっちゃんの溜息がかぶった。  ぼてぼてのゴロはショートへ、ゲッツーコース。過たず捕球した遊撃手から、セカンドベースに走り込む二塁手、ミットを構える一塁手へ流れるようにボールは送られ、試合がおわ、 「えっ!?」 「はっ? セーフ?」 「なんで?!」 「あし、足!」 「外れてる!!」 「うっそ!」  一塁塁審のジェスチャに、全員が画面の目の前に折り重なるように集合した。  うおおお、と音にならない咆哮は一塁にヘッドスライディングした打者が発したに違いない。騒然とするグラウンドに呆然と佇む一塁手と、くしゃりと歪む投手の顔がちらりと画面に映る。  ダメだ。  穂高は心の中で呟いた。その顔はダメだ。  守備陣が浮き足立っている。切り替えよう、と、声を掛けたであろう捕手の姿もぶれている。「まずいな」という岸本の言のとおり、代わった一塁走者は盗塁に挑んだ。 「まじか!」 「ここでかよ?!」  これぞ勇気、という走塁は成功し、走者は両手を天に突き上げた。二死二、三塁。画面に映る球場は、二倍に膨れあがったようにさえ見える。 「伝令出るで」 「打者はどうする」 「代打!」 「誰?」 「背番号15、中田やて」  そこで「ゆういち、たのむ」と囁いたケントの声が、妙にはっきりと穂高の耳に響いた。   まさに、いま、この瞬間。  この部屋に居る誰もが知っていた。  打者にとってはこの一打席が、  投手にとってはこの一球が、  少年たちがこれまで、野球に費やした心と躯と時間を担保に、  野球の神様が気まぐれに仕掛けた、決定的な賭けだった。  神様は残酷だ。  そんな事は知っている。無意識に、穂高の眉間に力が入る。マウンド上の投手の気持ちは痛いほど分かる。穂高も二年の秋、センバツを賭けた一戦でサヨナラの危機を背負ったことがある。  そうして投げた一球は…  息をするのさえ憚られるような緊迫の中、カウントが進む。  3-1、まだベースは空いている。初打席のバッターはこの投手にあまり合っていないように見えたが、無理はしないか。誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。  ボールでも構わないというほど外にはずれた球を、しかし打者は迷いなく振り切る。   キーン!  夕空をつんざく音が響く。 「やっべえ…!」 「いけ!」 「越えろ!!」 「たのむ」  幾多の祈りを載せて、白球は鋭角に飛んだ。  照明に白く浮かぶダイヤモンドで、白いボールが奇跡のように内野を越えて行くのを、四万人の観客とその数倍の視聴者がただ、見ていた。
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