第弐章 二

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小声で呼ぶと、しばらくして中の鍵を開けて、格子戸が開いた。 「まあ!穏子。あなた直衣など召して…どうしたの?」 顔をしかめて声を出さないように示されて、絢子は局の内に穏子を招き入れた。 「もしかして私の局にいらっしゃるのって、時平兄上?」 「ええ。仲平さまもいらして居ます。貴女は此処までどのように抜け出したの?」 「私、今まで忠平兄の御屋敷に行っていたの。今戻って来たのだけれど…」 絢子は、貴女らしいわね。と他人事の様にころころと笑った。 「姉上!」 「許してね穏子。分かっているわ。あなた近江で外に出ない日は無かったのですから。こちらでは局に籠りきりで退屈でしょう…」 無理を言って貴女を供にして、申し訳なく思っているのよ。と表情が曇ってしまった。 久々に聞いた姉姫絢子の明るい笑い声を無くさせたことが、穏子には耐えられなかった。 「不満などありません、今日はただ、忠平兄の所に、すこし物申しに行ったというだけです。――では今遠江は、一人で時平兄上たちに対面して居るのかしら?」 「まぁ…。なんてお気の毒な。すぐに行ってお上げなさい。――その前に、とにかく私の袿と袴にお召し替えをなさい」 「はい」 三の君にお仕えする若い女房は皆、時平達の後に御供と称して付いて行ってしまった。 局の内の絢子は、対面に疲れたと床に着いてしまった筈である。 『これは異なこと…三の君はお休みになって居ないのかしら』 女房頭の侍従は自らの局に下がった後、絢子の局の物音に気付いた。 秋口で肌寒い夜であるのに、戸を開けたらしい。  お側に誰かが控えるべきだったと、侍従は手燭を持って、秋の夜長のつれづれのお供をすべく局を出た。  絢子が自分で点けたのか、燭の明かりがほんのりと見える。 西の対の四の君の局は、あれほど賑やいでいたはずなのに先ほどから静まり返って声が聞こえないことも不思議だと思いながら三の君の局に向かう。 同じ頃三の君絢子の局の内では、穏子が直衣の襟を止めていた紐を解いていた。 絢子は傍で一揃えの女装束を用意している。 急ぐ為に妹の衣替えを手伝おうと、絢子は妹の腰の細帯の結び目を手繰った。 「まあ…あなたきつく締めているのね。解けそうにないわ…」 焦って姉妹で引っ張ると目が詰まって、さらに固くなってしまった。 「切ってしまうしかなさそうですね。――姉上、小刀を貸して」 「穏子…けがをしないようにね」 鞘を取り払った刀身が、燭の炎に赫く光ったと思ったら。 局の外の人の気配に気づいて、姉妹ふたりが息を飲んで振り返った。 「――誰かある!三の君さまが!」 格子戸の向こう側から呼ばわる大声がした。 侍従には賊が絢子を小刀で脅しているように見えたのだろう。 「違うのよ侍従!お願いだから静かにして!」 必死に二人で止めるけれど、侍従は格子戸を開くと局に入ってきて絢子を庇うべく被いかぶさった。
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