第弐章 二

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「これは!…ははははは。――なんと!」 時平は、怒るどころか、堪えきれず声を挙げて笑い始めた。 「これはまた良く似合うて居る…。――してやられたわ、全く」 仲平も機嫌よく笑う兄を眺めながら、 『遠江の歯切れの悪い理由が漸く分かった』 と新米女房の冷や汗をかいている姿を思い起こして微笑んで居る。 西の対屋の穏子の局は、緊張から一転、兄弟姉妹揃って和やかな雰囲気を取り戻した。 真っ先かつ的となってからかわれたのは、穏子の居ない空の座を延々取り繕い守り続けた遠江であった。 時平が蝙蝠(かわほり)で指し示しながら、 「宮仕え始めたばかりの生女房かと思えば、なかなかどうして肝の座ったところがある。そなた見どころがあるぞ」 局の隅で肩を縮めて俯いて居心地悪そうに座っている遠江は、『もうしわけ…ございません…』とやっと聞き取れる程のか細い声で答えた。 他の女房は遠ざけて全く兄弟姉妹水入らずとなった場に、 「――遠江、貴女は残りなさい」 などと、仲平に面白がられて場に留められてしまったのである。 絢子に連れられて現れた穏子を叱り飛ばそうと思っていたのにこれではかなわない。 それならば早いうちに局に下がって、頭から袿を被って眠ってしまいたかったのにそれもかなわない。 「さあ、さあ。――四の君。こうなったらそなたの秘か事を全て話して頂くぞ。何故にあの様な若公達の格好をされておいでか」 左大臣という人臣を極めた位にあっても、時平も公の場を離れれば元来は流行りや面白いことに興味深々な若公達である。 しかも初めて会うというのに、鏡に映る自分ではないかと思う程顔立ちがよく似た兄時平に迫られた穏子は。 やはり他人とは思えなくて大して抵抗もせずあっさり白状した。 「小一条邸へ参りました」 「小一条?――忠平は物忌と聞いて居りましたが」 首をかしげる仲平に、時平が蝙蝠の先を向けた。 「御前と同じ手ではないか。仲平。如何に右近衛府に寄りつかずに済むか、あやつも必死だな」 時平兄には見抜かれてしまっているのね。忠平兄が恐がるわけね…。 穏子は今頃愚痴りながら盃を酌み交わしているであろう忠平を思い起こして、くすりと笑った。 「弓の練習をされています。そもそも時平兄上が賭弓の引き手になさるのが悪いのです。どう見たって適任とは言い難いわ」 「仲平でも良いが、嫌がるのでな」 「私は琵琶を一手弾くことで、特に許して頂いたのです。芸は身を助けるとでも言いましょうか。――そうそう、貴女方は楽は嗜まれるのかな?」 「私は箏の琴を少々――」 絢子は宮仕えをしていた母から手習いを受けた。その分外を駆け回っていた穏子は、 「叡山の僧に笛を習いました」 里に降りてくる比叡山の僧侶は、元は京で宮仕えをしていた者が多く、琵琶以外の楽器を嗜みとする者が多かったので、穏子は童子姿で近付いては流行の都歌を教えてもらっていた。 「それは上々。是非宴で私と競べ(くらべ)て戴きたい」 「これでも仲平は今上一の奏者でね。楽競べなどなかなかできぬ。如何です、四の君」 「それなら宴の興が冷めないように、仲平兄上に教えて戴かなくてはね」
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