第壱章 一

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「これは異な事を仰る。承服致し兼ねますね」 「――私達は母代わりの祖母の尼君が亡くなってからも、この屋敷とふたりで住むには不足ない財はありましたから姉妹で大津で暮らして参りました」 穏子の問わず語りが始まる。 「私はご覧のとおりからだが丈夫なことだけが取り柄ですが、姉上は肌寒く寂しい山野で、病で床に就きがちです。近頃は病が特に篤くて、几帳の内から外を眺めることも称いません。ですから若しや都の薬師に診て戴けたら平癒されるのではと、姉上には黙って、恥を忍んで時平さまに文を差し上げたのです」 恥とは、腹違いの兄妹とはいえ、宮腹の時平達の母と、宮廷女房でしかなかった穏子達の母の身分が余りにも違う事を言うのであろうか。 都を追い出された身で今更縋る縁ではないのだろうかとも、悩んだだろう。 「貴女が恥に思う事など何もない」 姉を気遣う穏子の心の優しさに、忠平は今までの無礼をすっかり許そうと思った。 「時平さまが姉上を都で養生させようとお返事を下さって、本当に嬉しくて」 「――私は貴女方のような妹君が居るとは、夢にも知らなかったのです。そうと知れば真っ先に都へ御迎えしていたのに。こうして御縁が出来たのですから、色々お助け致しましょう」 それにしても、あの長兄時平が『快く』引き取るとは、何か裏があるのではないかという想いが脳裏を掠めたが、 『何時も揶われて居るから、僻み心が出たのかな』 灯台の明かりに照らされた顔をよくよく見れば、穏子は兄の時平の元服したての若公達姿によく似て居た。 どうやらこの手の顔の者には遣り込められてしまうらしいと少し苦笑いを漏らしたら。 「――如何しました?私の顔に何か?」 「いや、?――穏子殿は兄上に似て居られると思ってね」 「では、忠平さまに似ていても良さそうなものでしょうにね…」 忠平は、同腹の長兄である時平、次兄仲平と共に世に「三平」(さんひら)と呼ばれて居る。  時平は当世一の美男と称せられ、仲平も何処となく嫋やかな美しさで「今業平」と宮中女房達にもてはやされるプレイボーイである。  しかし末弟の忠平は、溜息が聞こえそうな程物憂げな様子で、何時も俯き加減で何事か考えがちであるので、明るい社交好きの上二人の兄達には、「陰気な奴め」と苦笑される公達だった。 「私は学問にかまけて人付き合いが余り得意ではなくて。穏子殿のほうが宮仕えに向いて居そうです」
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