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「今日のところは帰るか、お絲」
「そうね、紅丸がお腹を空かせて待っているわね」
「俺とて腹は減っておるぞ」
「食べたいものはある?」
「お絲が作るものであれば、なんでも旨い」
「大袈裟ね」
「俺の身体はおまえの心で作られておる。それ以外は受け付けぬ」
「……本当に、大袈裟なのだわ」
受け取ってくれる神さまのためにと供えつづけた食事は、すべて佐田彦の下へと導かれていたという。
十歳の頃から折に触れ、そして、こちらへ渡ってきてからは毎日のように、絲が心を尽くしたものを喰らってきた身体は、男の言う通り、絲で作られているといっても、過言ではない。
改めて告げられると、とても不思議で。
けれど、ずっと繋がっていたのだと思うと、心が騒ぐ。
これからも共にあってよいのだと、神が告げているような気がするのは身勝手だろうか。
「商いとするのであれば、宇迦さまへ申しておくべきであろうな」
「では、このままご報告へ伺う?」
「――いや。腹を満たしてからだな」
ぐう。
合いの手のように腹の音が聞こえ、絲は笑みを零した。
朝の残りを食べてしまいましょう。
胡瓜の酢漬けが、そろそろ頃合いかしら。
唐辛子を加えてピリリとさせれば、よいおかずになるけれど、紅丸と白旺にはきっと合わない。では、ふたりは甘酢にしようかしら。
梅肉を添えた豆腐も、口を涼やかにしてくれる。
通り過ぎた棒手振りの声を聞きながら、絲はふと考えた。
佐田彦がこの場所で商いをするのであれば、昼餉は届けてやるべきだろうか。
握り飯を作り、竹筒には汁物を。
あの、供物のように。
塩握りもよいけれど、たまには変わった物も届けよう。
古くなった沢庵を小さく刻んで混ぜ合わせると、歯触りのよい飯となろう。青菜のおひたしをつければ、彩りもある。
紫蘇の葉を刻めば香り高い薬味になる。
ああ、蕎麦もよいな。
あれやこれやと思案しながら、絲は幸せを噛みしめる。
沿道の軒先で、風鈴がチリリと涼やかな音を奏でた。
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