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序
松明の火が、夜の闇に人魂のように浮いている。
殺気混じりの怒声を背に、駆け出した。
暗闇に乗じ、ただひたすら走り続ける。
草履もなく、細かな石が足の裏を刺すが、痛みよりも恐怖の方が勝っていた。
遠く背後から、呪詛のような響きが聞こえる。
あの子供を捧げろ。
神への供物とせよ。
鬼の子ひとりで済めば、儲けものだ。
足元の石に躓いて転んだ目の先に、祠が見えた。
朱色に塗られた鳥居の先にある、小さな祠。
咄嗟に駆け寄り、扉を開く。
子供の背丈ならば収まるほどの大きさの祠に逃げ込み、内側から扉を閉じた。
足を止めたことで、どくりどくりと音を立てる鼓動が、太鼓を打ち鳴らすように身の内に響く。
その音が漏れてしまうのではないかと不安に駆られ、緊張のあまり息が浅くなる。
震える手が床を這い、指先に小さな何かが触れる。
砂粒か小石のような何かを摘まみ、扉から漏れる僅かな月光に照らすと、それは米の粒であった。
神社へ奉じた供物。
米と知った途端、腹の虫が騒いだ。
最後に飯を口にしたのは、三日ほど前のこと。捨て置かれた残飯を隠れて摘まみ食いしたのが最後である。
ごくりと唾を呑んだ。
生の米なぞ、喰えたものでもなかろうに、それでも震える指は止まらなかった。
がり、と。
石を砕くような音を立て、それを唾で飲み込む。
走ったことで喉が乾き、唾すらままならない。
懸命に唾液をかきあつめ、一粒ずつ口へ運んでいく。
一心に、米へ集中するあまり、外の様子に気づくのが遅れた。
気づけば外から光が漏れており、米を運ぶ手を止めた。
震える手で扉を押し開ける。
その先に広がっていたのは、黄金色に輝く葦原だった。
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