第3話 謎の大穴

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第3話 謎の大穴

「……まさかとは思ったけど、続ける気だったんだな、深淵の使徒」 「いやいやいやいや、何を言っている!! やる気満々だったのは貴様のほうだったろうが! 法なきこの『百塔街』にあって、街の平和を守る者、『深淵の六使徒』。せっかく名が売れたところだというのに、解散する必要がどこにある! 見ろ、新聞も期待しているぞ!」  なるほど、ミランの突きだした百塔街唯一の新聞には、インクがぷんぷん匂いそうな太い文字で『娼婦連続殺人事件を、深淵の六使徒が解決!?』『彼らこそ真の神使だ!』『何かあったら彼らの名を呼ぼう!』などという文句が躍っている。 「へえ、確かに実に大きな扱いだ。ちなみに僕、こんな事件があったことすら今知ったんだけど」  アレシュが少し面倒くさそうに言うと、ミランは両手を腰に当てて思い切り叫んだ。 「うむ、俺も知らん!!」 「……デマ、だよね?」 「デマだが、我々の名前は出ている!」  力強いミランの主張に、アレシュはげっそりしてサルーンの隅へ向かった。  そこには部屋からはみ出した贈り物がきらびやかな山を築いている。アレシュは山の中腹あたりから適当にキャンディの箱を引き抜きながら言う。 「いいかい、ミラン。僕は確かに『六使徒』の活動の中心に立つと言った。だけど僕らが動くのは百塔街の存亡をかけたような事態だけだよ。こんな些末な事件に顔を出しても痛くもない腹を探られるだけだし、下手な期待をされるのもごめんだ」 「いちいちもっともだが、あのクレメンテを倒したことで、すでに百塔街の人々は我々に期待しているのだ。こうして山ほど贈り物が届くのも期待ゆえ。六使徒がらみの虚構を載せた新聞の売り上げは倍増、もはや連続小説の勢いだと聞いたぞ?  見ろ、この挿絵の俺を! 本物には劣るにせよ、かなりの迫力ではないか!」  ミランはまくしたてながらなおも新聞を押しつけてくる。  一応視線をやってみれば、そこにはミランとは髪型くらいしか一致していない屈強な大男が、大鉈を持って犯人を追っているペン画が描かれていた。  アレシュはうんざり顔でキャンディを指で漁った。 「……創作にしても下の下だな。僕の下僕はもう少しまともな顔だ」 「なんだ、腹の具合でもおかしいのか? いきなり俺を褒めるな。照れるではないか」 「顔を赤くするな気持ち悪い。僕が評価したのはお前じゃなくて、お前の上っ面一枚だ。そもそも体術なんか本で学んだだけのお前に、鉈を振り回したりできるもんか」  素っ気なく言い、アレシュは小さな花を模した砂糖菓子を口に入れる。口の中でほろりと消えてしまうあまりに儚い感触にもうひとつつまみ出そうとすると、箱の底に小さなカードを見つけた。  カードには、確かに『あなたの信奉者より』とある。 (……期待、ねえ)  アレシュは眉根を寄せ、ゆっくりとふたつめの菓子をかみしめた。 『深淵の六使徒』の繋がり自体は、もちろん不愉快ではない。  むしろ、生まれ持っての美貌の他には最近思い出した調香の腕と、あとは『魔界と人間界の境界を壊してしまう』という扱いづらい力しか持たないアレシュにとって、ミランはともかく百塔街の実力者であるカルラやルドヴィークとの繋がりはかなり喜ばしいことではある。  ただし、どうも、世間の思う『六使徒』と、自分の思う『六使徒』にずれが出始めているような気がするのだ。 「サーシャ。君は、『六使徒』は続けるべきだと思うかい?」  いっそこの世のしがらみから逃れてしまった彼に訊くか、とばかりにサルーンの奥の薄闇に声をかけると、古びた絵画の前の大気がゆらりと揺らめく。  ほとんど目の錯覚かと思える程度の赤と白が浸みのようににじみだし、ぼんやりとひとらしき姿を取ったかと思うと、絨毯が文字の形に毛羽立った。  子供が指で書いたような文字は、『夜に来る』。 「――夜?」  どういうことだ、と問いただそうかとも思ったが、サーシャの姿はすでに薄闇の中に溶けてしまっていた。  幼いアレシュの友人になってくれたサーシャは、もう数年前に死んだ幽霊だ。  その姿はたまにはっきり現れることもあるが、普段は霧のような姿で存在し、かすかな衣擦れや、床を踏む軋みなどを響かせるだけの静かな存在である。  そんな彼からの思わせぶりな伝言にアレシュが少し考えこんでいると、ルドヴィークが深い声で小さく笑った。 「サーシャ殿も、我々と同じものに気づかれたようですな。実は、我々は昨晩の『あれ』のせいで、それぞれ勝手にここへ集まったのです」 「『あれ』? そういえばカルラもそんなことを言ってたね」  ふと顔を上げたアレシュの横から、ミランが真剣な顔を出して主張する。 「そのことなら、とっくに俺も言っていただろうが! 昨晩の『あれ』でねぐらをつぶされた、と!」 「お前の言うことは自動的に却下するように習慣づいてるんだ。だけど、ルドヴィークとカルラまでその件で来たなら本物だな。――で、一体何があったって?」  今さらながらのアレシュの問いに、カルラとルドヴィーク、そしてハナも、一瞬視線をからませる。  そして、皆を代表して、カルラがゆっくりと片眼を閉じて囁いた。 「穴が空いたのよ。百塔街の、真ん中にね」 □■□  百塔街の空は真っ赤に晴れている。  外界からこの街を訪れた者にとってはぞっとするような異世界感をもたらすこの色も、百塔街で生まれ育ったアレシュにとってはもっとも落ち着く色のひとつだ。  彼の真っ赤な瞳に、真っ赤な空に流れる雲が映りこむ。  そして、目の前の廃墟同然となった街の一角が。 「それにしても……見事に壊れたものだね」  アレシュが薄い唇から紫煙を吐いて言うと、横でミランが大げさに嘆いて見せた。 「貴様は、言うに事欠いてそれか、アレシュ! もっと親身になれ。驚け。呆れろ。ついでに怒れ。生まれ育った街だろうが!」 「まあ、確かにこれはちょっと珍しいかな」  つぶやいたアレシュの全身に、埃っぽい風が吹きつける。  目の前にあるのは、文字通り『穴』だった。  三角形に近い形の、いびつな穴。  古い石造建築がみっしりと生えそろっていたはずの旧市街に出現した穴の直系は、集合住宅四つ、五つぶんくらいあるだろうか。深さはざっと建物一階ぶんほどで、底はすべて瓦礫で覆われている。  アレシュたちがいるのは、穴の縁だ。  かつては古道具屋か何かだったのだろう。重厚で薄暗かったであろう店はすっぱり半分だけ穴の中に消えてしまっていて、アレシュたちはかろうじて残った一階部分から穴を見渡しているのだ。  ここって屋内なのかな、屋外なのかな、などとどうでもいいことを考えながら、アレシュは続けた。 「とはいえ、ただの穴だからね。強大な呪いにしては死人もほとんど出なかったって話だし、どっちかっていうと事故や天災に近いものなんじゃないのか? 実際のところ、深刻な事態と思ってる人間もあんまりいないみたいだ」  アレシュが言うとおり、穴の周りにたかった人々の表情はそう暗くはなかった。  むしろここが商売所、とばかりに 「魔除けの札だよ!」 「穴見物のお供に、素敵な香辛料入りのあったかい葡萄酒はいかが?」 なんて声を上げている人々の姿や、ここぞとばかりに怪しげな店の看板を抱えて穴の中に座りこんで 「ここはそもそも俺の先祖代々の土地だ!」 なんて主張している姿も見える。  ほとんどお祭りだな、と思ってアレシュが辺りを見やると、今度は何人かのやじうまと目があった。 「……?」  少し不思議な空気を感じてアレシュが彼らを見やると、人々は慌てて目をそらしたり、手を振ったりしてくる。  しまいにはひとりの男が穴の縁を危なっかしく渡ってやってきたかと思うと、砂ですっかり白くなった絨毯を踏み、もじもじと声をかけてきた。 「あのう……六使徒のアレシュさんですよね? 応援してますんで! あんたは救世主だと思ってるんで……何かあったら言ってください!」 「アレシュはアレシュだけど……ここへはちょっと様子を見に来ただけだ。気にしないでくれたほうが、ありがたいんだが」  アレシュが戸惑いがちに微笑んで言うと、男はなぜかうっとりした様子で何度かうなずきながら下がっていった。  そして、他の見物人たちと 「遠慮してるみたいだぜ」 「六使徒ともなると、色々秘密にしなきゃなんねえこともあるってこった。にしたって、すげえ美人だよなあ」 なんて話している声がこっちにまで届いてくる。  自然と顔が歪むのを感じて、アレシュは帽子を深くかぶり直した。  またか。  ここでも求められているのは『六使徒』だ。昨日サロンに呼ばれたのも、今朝の菓子を贈られたのも、自分ではなく『六使徒のアレシュ』というよくわからない虚像なのだ。  あっという間に最低な気分になったアレシュの横で、ミランはやたらと勝ち誇った声を出した。 「そら見ろ、周りもびっくりするほど期待している! 俺の言ったとおりだろう?」 「……こんなわけのわからない期待が嬉しいか? 単なるお祭り騒ぎだよ。熱狂が去ればおしまい。僕は動物園の猿になるのはごめんだね」  アレシュはすっかり機嫌を損ねて吐き捨て、穴から身を翻そうとした。  そこへカルラの手が伸び、アレシュの袖をつまんで身を添わせてくる。 「待って、アレシュ。失礼なこと言った子たちは、なんなら後で、みーんな使い魔の餌にしちゃいましょ。でもね、今はこの穴の話よ。  私、この穴はあなたが思うより、ちょっとだけ大事(おおごと)だと思ってるの」 「大事(おおごと)?」  少しだけ忍耐を取り戻してアレシュが訊くと、百塔街一の魔女は目を細めてそっと笑った。 「この穴、ものすごーく、魔界の気配がするのよ」 「魔界か」  アレシュは小さく繰り返し、改めて穴のほうを見やった。  言われてみれば穴を吹きわたってきた風はどこか生臭いような気もしたが、もとより百塔街はどこも魔界の気配が濃厚な街だ。  カルラは甘く続ける。 「そうよ。ここって、ちょうど魔界と人間界が近くなってる場所――私たち魔女は『扉』と呼ぶけれど――その、『扉』のすぐ近くなの。ちょっとしたひょうしで、魔界とこっちが繋がってもおかしくないところ。そこで空いた大穴ってことは、ひょっとして、この一角が魔界に消えちゃったりしたのかもって思ってるのよ」 「街の一角が魔界に……って、それ、どういうことだい?」 「そのまんま。この街には元々、強大な魔法使いの呪いがかかってるじゃない? そのうえ全国各地から集まる呪いの物件やら呪われたひとたちやらのせいで、街は常に歪んでいく。それを私たち、街の住人がぎりぎり押しとどめてる状態なのね。  そんな均衡がちょーっと崩れちゃって、魔界への扉が開いちゃって、ずるずるーっと魔界にこの街が吸いこまれ始めた結果がこの穴だったら、まずいなって」  カルラは困ったように言って、美しく整えた爪で自分の目尻を押さえて見せた。その様子は少女じみて愛らしかったが、言っていることはかなりとんでもない。 「放っておいたら、街全体が魔界に吸いこまれるかもしれないってことか」  アレシュが眉をひそめて言うと、カルラはふと目を細めた。 「うん。ひょっとしたら、街中であなたの親戚に会えるようになるかもね」    戯れたような囁きに、ミランがぎょっとしたふうな視線を投げてくる。  アレシュもまた、帽子の作る影の中で赤い瞳をほんのわずかに光らせた。  ――アレシュ。お前の母さんは、天使だ。  幼いころに繰り返された父の言葉が、耳の奥にじわりと蘇る。  父は魔香水で呼び出した魔界の住人にアレシュを産ませ、母かどうかも明らかではない魔界の住人に喰い殺されて死んだ。  ゆえにアレシュは母の顔を知らない。  その名も、容貌さえも。  ただ、母が魔界生まれと知ってからは、そのことが頭を離れたことはない。  身だしなみを整えようと鏡をのぞきこんだその瞬間に、街中で飾り窓をのぞきこんだそのときに、ふと、自分の顔の中に見知らぬ女の顔がちらつくような気持ちになった。  ――自分は母に似ているのだろうか?  その問いかけに答えるように、鏡の奥底から、自分を見つめてやんわりと笑う女の幻影が見えたような気分になる。  あなたはそんなふうにして、父を誘惑したのか?  あなたは父を愛していたのか、それともただの玩具か、食べ物と思っていたのか。  アレシュが真剣に問えば問うほど、鏡の奥の幻影は曖昧にゆがんではねじれ、鏡の裏の水銀を巻きこんだかのように渦を巻いて消えていく。  そうしてアレシュの眼前に残されるのは、彼女の血がもたらしたもの。  装飾品じみた魅了の美貌と、『魔界と人間界の境界を破壊する力』という、強大ながら未だ扱いに困る力なのだ。 (そういえば……ハナは魔界出身だよな)  この穴について何か訊けるだろうか、と背後を見やると、ハナは半壊した黒い木の勘定台の陰でじっとたたずんでいた。そっぽを向いていて、アレシュのことなど視界にも入っていないようだ。  今朝のことで機嫌を悪くしているのかどうなのか。とにかく話しかけづらい雰囲気に、アレシュはまたカルラに向き直った。 「君の予測が正しいとしたら、何か対処法はあるのかい? それと、百塔街全体が魔界に引きずり込まれると具体的にどうなる? 僕は、魔界の紳士たちが血を好む、ってことくらいしかわからないんだが」 「対処法としては、均衡がとれるまで街中にある魔界への扉を片っ端から封印、とかかしらねえ。とはいえ色んな利権もからむし、私ひとりじゃむつかしいわ。  で、いざ街全体が魔界に引きずり込まれちゃうとどうなるかっていうと……色々大混乱でしょうねえ。魔界は人間界とは全然世界の法則が違うのよ。ちゃんと個別に調整しないであっちの世界に行くと、あらゆるものがそのままの形のままじゃいられなくなるかも。人間が泥人形になるくらいなら運がいいって感じ」 「泥人形か。それは確かに愉快な話じゃないな。……あ、そういえば、下僕のねぐらもつぶされたんだっけ?」  やっと思い出したアレシュの横から、ミランは勢いこんで顔を出す。 「そのとおり! 夜中に異様な気配で目が醒めてな。無傷で逃げ出せたのは貴様の兄貴分の面目躍如と言ったところだ。そのまま貴様の館に直行して客間に泊まろうと思ったのだが、すかさず出てきたハナさんが、廊下へと案内してくれた。あんな明け方近くだというのに丁寧かつ力強い対応、俺は感動したぞ、アレシュ!」 「そこで素直に廊下に野営するのがお前の頭のおかしいところだ。ちなみに、この騒ぎで死んだ奴はいたのかい、ルドヴィーク?」  ミランをさっさと片づけたアレシュが問いを投げると、ルドヴィークが仮面のような笑みのまま自分の顎をゆっくりと撫でる。 「幸いと申しましょうか、わたしたちの商売的には残念と申しましょうか、わたしのところには死体回収の報告は来ておりません。『葬儀屋』が死体を回収していないということは、九割九分は死体はなかったということです」 「なるほど。行方不明者がいる可能性はないでもないけど、調べるのは難しそうだな。――よし、やっぱり帰ろう」  アレシュはきっぱりと言って踵を返した。  カルラは軽くため息を吐いて肩をすくめたが、ミランはすかさず顔をしかめて追いすがってきて、熱心に言う。 「帰るだと? まさか本気で言っているのではあるまいな! 世間は我々に期待しているのだ!」 「期待は勝手にしていてもらおう。僕はこういう魔法的なことに関しては未だに無能そのものなんだよ。ここにいても見世物になるだけだから、帰る」  アレシュは手の中の杖を弄びながら言い、輪切りになった家の玄関に辿り着く。  穴が空いた衝撃のせいで建物はすっかり歪んでいたが、一応玄関には扉が無理やりはめこんであった。もちろんその他の穴から出ることは可能だったのだが、扉があるなら扉から退出するのが紳士というものだろう。  そう思ったアレシュは、少々紳士的とは言いかねる所作で、玄関扉を蹴り開けた。 「ひっ!」  すると、外にいた見知らぬ男が妙な声をあげて、わずか後方へ飛び退る。  アレシュは杖の握りで帽子のつばを少し持ち上げ、一度瞬いた。 「おや、失礼。そこに誰かおられたとは夢にも思わず。お怪我はありませんでしたか?」 「――ええ、ええ。もちろん大丈夫ですよ。あたしもこれで、危ないことには慣れてますんで。で、どちらへ行かれるところなんですか、アレシュ・フォン・ヴェツェラさん?」  からかうような声だった。明るいが、上っ面の抑揚しかないぞんざいな言いようである。  アレシュは淡い不快感を覚えて目を細め、素っ気なく言った。 「帰るんですよ。僕の家にね」  すると、見知らぬ男はひょろ長い長身を猫背に丸め、無精髭の口元でにやりと笑った。
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