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幸せって何だろう。
多分、幸せだと気付けるのは、幸せな日常が消えた時。それまでは、当たり前すぎて気づけない。
では誰かに好きになってもらうことは、幸せなのだろうか。その人が自分のことを嫌いになってくれたら、答えが分かるのかもしれない。
そんなことをふと考えながら、俺は生徒会室の扉を開けた。
「おう、桜花くん。来てくれてありがとう」
「いえ、別に何も予定はありませんでしたから」
生徒会長だけが座れる、他より少しだけ質のいい机と椅子。そこに、絶対的カリスマの金森唯音は座っている。
他の役員の人はいなかったので、俺はその会長から近い副会長席に座る。生徒会役員ではないのになんとなく役員の気分になれる。
「そんなわけで、早速だが頼みたいことがある。桜花くんにしかできないことだ」
そう言って、会長はこちらを向いて少し頭を下げる。
「…………」
ちなみにこれは、お辞儀をしているわけではない。
「どうした桜花くん」
「手伝いって"こっち"ですか」
「そうだ。さすがに休日に実務をさせる気はないぞ」
学校に呼び出されている時点で休日も何もないけど……まあいいや。
「分かりました。先輩の頼みを無視するわけにはいかないですからね」
「よろしく頼む」
少しため息交じりに喋りながら、会長の頭に手を乗せる。
そして、撫でる。
「ん~~~~っ」
瞬間、ネコみたいな声をあげ始める。会長のカリスマ性とは何だったのかと問いたくなる。
「やっぱり頭を撫でられるのって気持ちいいな!」
「こんな姿、他の人が見たら何て言うんでしょうね」
「それはもう考えないことに決めた。見られないためにこうやって休日を選んだわけだしな」
「そういうことでしたか……」
会長の、金森唯音のもう一つの顔。
それがこの、極度の甘えたがり。
「桜花くん、膝の上に乗ってみたい」
「好きにしてください」
「それじゃあ失礼する!」
会長の両親は医者と弁護士。つまりエリートとエリートの間に生まれた人。そんな会長は幼少期からの英才教育でその才能を発揮し、威厳とカリスマまで兼ね備えた。そんなエリート街道を歩んだがゆえに、幼少時代から他人に甘えることができなかった。その反動が、今になってやってきているということだ。
もともと金森唯音という人間は甘えるのが大好きなのだろう。それが後天的に才能が与えられていったため、こんな矛盾したことになってしまった。
「今でも親に甘えるのはできないんですか?」
「昔から厳しく育てられてきたからな。こんなアタシを受け入れてくれるかどうか以前に、アタシが親に甘えられない体質なんだよ」
「で、結局俺ですか」
「まあな! ここまで心を許しているのは桜花くんしかいないぞ」
「それは光栄ですけど……」
思えば半年前、偶然会長と出くわしたのが始まりだった。
「会長は半年前のこと覚えてます?」
「会長選挙日のことか? もちろん覚えてるぞ」
会長は俺の膝に座って揺れている。楽しんでいただけているようだ。
「あの時は本気で嬉しかったぞ。あんなこと言ってくれる人、今までいなかったからな」
「俺は普通のことを言っただけだと思うんですけどね」
会長と仲が良くなったきっかけは、半年前の生徒会長選挙当日。体育館裏の自販機で飲み物を買おうと昼休みに向かうと、そこに会長がいた。まあ、厳密にはこの時は会長ではないわけだが。
「アタシ、結構あの演説は緊張しててな。対抗馬もいたし、もし選挙に勝てなかったら親に何て言おうかとか、色々と逡巡してたんだよ」
俺の膝から降り、元の席に戻る。そして満足げな顔をしたまま話を続ける。
「そんな時に『努力が実るといいですね』なんて言われたら、誰だって嬉しくなるさ」
それは、俺が何の気なしに言った言葉。
会長になる前から『金森唯音はすごい人だ』という話は聞いていた。頭脳明晰、容姿端麗で非の打ち所がない人だと。
それでも、そういう人たちが何もしていないかと言われれば、そういうわけではないと思う。実際に、会長はここまでたくさんの努力をしたからこそ、周りから慕われる存在になった。ならば、それを労わるくらいの発言はしてあげるのが人情だろう。
「ほんとに、こんな些細なことで人気者の会長と仲良くなるなんて思ってませんでしたよ」
「些細なことじゃない。アタシにとっては嬉しいことだったし、それに……運命だとも、思った」
嬉しそうな、悲しそうな。楽しそうな、辛そうな。そんな何とも言えない表情を会長は浮かべる。
ドクン、と心臓が動くのが分かる。
「運命……ですか」
「ああ。あの一言だけで、キミになら心を許せると、本能的に感じた。普段見せられないような部分も、キミなら見せていいと本気で思った」
会長は視線を合わせることをしない。普段誰とでも気軽にコミュニケーションを取れる会長が、こんな気恥ずかしそうにしている。
それが意味するもの。考えるまでもない。
意を決したように、こちらを向く。ふわりと長く黒い髪がゆらめく。
「あの時、アタシは桜花くんに一目惚れした。その気持ちは、今も変わってない」
三人目の告白を受ける。もう、驚いたりはしない。
「……栞奈の仕業ですよね?」
「ああ」
端的にしか言わなかったが、会長にはそれで通じた。
「さっき生徒会室まで来たよ。勝負をつける時ですって言われた」
栞奈によって崩されたみんなの当たり前な日常。栞奈としては、早く一人だけを決めろと言いたいのだろう。
「返事をしてほしいわけじゃない。桜花くんにとっても、今返事をするなんてことはできないだろうしな」
「それはそうなんですけど……」
そもそも、返事なんてできるのか。そんな不安もよぎってくる。
心の整理が、つかなくなる。
「とりあえず、お礼を言わせてくれ。ありがとう、桜花くん」
「え、いえ、別にお礼を言われるようなことは何もしてないですが……」
そんな中、唐突に頭を下げる会長に困惑してしまう。
「こうやって生徒会室まで来てくれたことへのお礼だ。ありがとう」
「会長の頼みを無下にはできませんから」
「……やっぱり、優しいな。みんなが言う通りだ」
「……ありがとうございます」
お礼を述べるしかなかった。それ以上には、何も考えられなかった。
「手間を取らせて悪かった。あとはアタシだけで大丈夫だ」
「分かりました。では、失礼します」
少々急ではあったが、お互いこれ以上二人でここに居続けるのには限界があった。
いつもよりも早い動作で生徒会室を後にする。
そして廊下に出て扉を閉めた、その瞬間。
「お待ちしておりましたよ、桜花さん」
「……園王寺さん」
「お話ししましょうか、これからのこと」
すべてを見透かしたかのような顔で、園王寺さんが立っていた。
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