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園王寺さんと別れ、自宅までたどり着く。
自宅の表札には『桜花』『竜胆』の二つがかかっている。
「あれ、兄さんも今お帰りですか」
玄関を開けようとした瞬間、ちょうど栞奈も帰ってきた。
「園王寺さんと会ってな。ちょっと寄り道してた」
「そうなんですか。お夕飯はいつも通り作っても大丈夫ですか?」
「別にいいぞ。俺はほとんど間食してないから」
「分かりました。では早めに支度しますね」
家の中に入り、それぞれやるべきことを進めていく。
「手伝うか?」
そして栞奈が調理の準備に入った段階で声をかける。
「別に大丈夫ですよ。兄さんはゆっくりしていてください」
「そう遠慮するな。妹として頼るくらいしてくれていいんだぞ」
「ですが……」
栞奈はそんなこと兄さんにできないです、と言わんばかりの顔をする
「まだ赤の他人って意識の方が強いか?」
「いえ! そんなことは決して……」
「なら、このくらい頼ってくれ」
「……分かりました」
周りのみんなは気を遣って何も言わないのだろうが、栞奈とは血のつながらない兄妹。園王寺さんも妹の姓を竜胆と言った時、そこには何も言ってこなかった。
来夏も栞奈を紹介してから、まるで自分に妹ができたかのように栞奈と接していた。そんなことをふと思い出す。
今から八年前、桜花家では父親が、竜胆家では母親が、同じ不慮の事故で亡くなるという事件が起きた。
同じ事故の遺族として接してきた親同士は、いつの間にかその悲しさを紛らわせるかのように恋心へ進展。しかし籍を入れるかどうか、親族の中でも意見が食い違い、結局内縁関係として同棲が始まり、今に至る。
だから、俺たち兄妹は名字がそれぞれ違う。
「どうしたんですか、ボーっとして」
「いや、ちょっと昔のこと思い出してさ。栞奈も最初は不機嫌だったよなぁ……今はこんなだけど」
「昔は栞奈も小さかったですから。あ、野菜切るの手伝ってもらってもいいですか」
「今も小さいってことに変わりはないけどな」
話しながらボウルにトマトをいくつか入れ、冷水に流す。栞奈は話を続ける。
「まあ今でも色々小さいですが……精神的な意味も含めてですよ。親が減ったり増えたりなんて、あまりないことじゃないですか。当時の栞奈にとっては、それがどうにも受け入れがたくて」
「その気持ちも分からなくはないがな」
子供にとって、親の離婚や再婚……俺らの場合は死別と再婚になるが、どこまで立ち入るべきか分からない問題ではある。
なんだかんだで俺は二人を尊重するという意味で静観することにしたが、我ながら大人な対応をしたものだ。中学生になる直前、同棲を提案された時も反対はしなかった。
栞奈も渋々だったが了承し、俺と栞奈は事実上の兄妹という関係へ。今では完全に妹として接しているが、戸籍上は赤の他人。それは変えようのない事実。
「でも、栞奈は兄さんと一緒で楽しかったです。最初は戸惑いもありましたけど……それでも、楽しかったです」
「なんだよ、今生の別れみたいな言い方して」
俺が笑いながらそう言うと、栞奈も少しだけ笑みをこぼしながら言葉を紡ぎ始める。
「……ある意味、そうなのかもしれません」
悲しそうな、嬉しそうな、感情の混ざった顔をしたまま。
「栞奈は、このまま兄妹であり続ければ幸せだと思っていました。でも、違ったんです」
「栞奈……?」
真面目なトーンで話し始める栞奈。もう笑って受け流せるような雰囲気ではなく、ただ黙って聞くしかなかった。
部屋には、蛇口からこぼれる水の音と、栞奈の声だけが響く。
「一緒に暮らしていて楽しい。その思いは、日に日に強くなっていきました。幼馴染である来夏さんに、嫉妬するくらいに」
栞奈の周囲への嫉妬。園王寺さんも言っていたものだ。
「別に兄さんがなんで誰にでも優しくするんだろうとか、そういうことに対して嫉妬はしていません。誰にでも優しいところは、兄さんの一番のいいところですから」
そんな俺の思考を読み取るかのように話を続ける。
「それよりも、来夏さんは生まれた時からずっと兄さんと一緒だった。それを聞いてから、そんな嫉妬心は強くなりました。栞奈よりもずっと長い付き合いの人がいることに、どうしようもない思いがこみ上げました」
申し訳なさそうにする栞奈。
「嫉妬するのは良くないことだが、俺は嬉しくもある。そこまで慕ってくれているってことは、素直に嬉しい」
少しフォローを加える。誰だって負の感情はある。それを素直に伝えてくれたということは、いいことだと思う。
それでも、栞奈の顔に明るさは戻らない。
「……兄さんは少し勘違いをしています。栞奈は、兄さんに嫉妬をしていないわけではないんですよ」
「……どういうことだ?」
「誰にでも優しく振る舞うその姿に嫉妬はしません。でも、悔しいんです」
栞奈の瞳に雫が溜まる。
「栞奈に、恋心を向けてくれないことが」
ぽつり。
言葉と雫が、静かに音を立てる。
「あの、兄さん」
これが、この物語の歯車が動き出す燃料だった。
「――栞奈のこと、好きですか?」
その顔はまるで、悲恋のヒロインのようだ。
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