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疑問
夜の街並みは会社帰りだったり部活帰りだったりする人々の喧騒に包まれている。あとカップルと言われる人種も腐るほどいる。これだけカップルがいるなら少子高齢化問題はなんとかなりそうなものだが彼らの大半は子供に恵まれる前に別れるのだろう。そう思うと少し愉快な気持ちになった。これは嘘ではない。
「そういえば高校の時は先輩と一緒に帰ったことありませんでしたね」
あの後雨嶋はあっさりと誘いに応じてくれた。あの流れでいったらまたセクハラだの変質者だの誹謗中傷を言われるだろうと覚悟していたが「いいですよ」と元気な返事が返ってきた。
「そういえばそうだな。というかお前途中で転校しただろう?」
「転校しなかったら今日みたいに一緒に帰ってくれたんですか?」
「もちろんだ。なんなら先輩らしくジュースの一つや二つ奢ってやったね」
「へー」
そう。雨嶋はあの時何の報告もなく急にいなくなったのだ。その後も音信不通だったため今日依頼人として事務所に来た時は心底驚いた。
「先輩は私がいなくなって悲しかったですか?」
雨嶋は街の喧騒に負けてしまいそうなぐらいの小さな声でそう言った。顔は下を向いており表情まで読むことはできない。
「悲しくはなかった。けど寂しくはあった。だから今日は先輩らしくジュースの一つや二つ奢らせろ」
僕がそう言うと雨嶋は僕の方を向いてニヤリと笑い
「ジュースは結構なので今度ご飯奢ってください」
と言った。
まったくもって厚かましい女だ。
「いいぜ。半分だけ出してやる」
「それは奢るとは言いませんよ」
しばらく雨嶋と歩いていると人通りのない不気味な一本道に入った。電灯の数が少ないため全体的に暗くその数少ない灯りがいたずらに不安を煽るそんな道だった。
「毎日こんなところを通っているのか?」
こんな不気味な道を毎日に通っているのだとしたら考えが浅はか過ぎる。こんなところでストーカーに襲われたら助けなんて来ないだろう。それが分かっているのか?
「はい。別の道がなくて」
他の道がないなら仕方がない。けどこのままというわけにもいかないだろう。
「ストーカーの件が解決するまでは一緒に帰るぞ」
今思ったがこの発言は嘘になる。というか嘘にする。いや厳密にいうと嘘ではないがとにかく雨嶋の帰宅を共にするのは今日が最初で最後だ。
「何です?心配してくれるんですか?」
「ほざけ。依頼人に何かあったら金が入ってこないだろう?それだけだ」
余計なことを言ってしまった。後輩の戯言など無視しておけばいいのに。無駄に反応してしまう辺り僕はまだまだだ。
「ふーん」
後輩はくすくすと笑っていた。
「それよりお前あのストーカーによく気づいたな」
「ああ。先輩気づいてたんですか」
困った時の話題すり替えは見事に成功だ。
「当たり前だ。これでも探偵だぞ」
僕がこうして雨嶋と一緒に帰っているのは彼女と談笑するためではない。そんなわけないだろう。ここでやりたかったことはストーカーを実際にこの目で見ることだ。百聞は一見に如かず。ストーカーの情報は雨嶋から訊くよりもこの目で見た方がいいだろうという判断だ。そしてその判断は正しかった。
今ではただの嘘つきだが僕は元刑事である。というと元刑事であることが噓っぽく聞こえるだろうが正真正銘、元刑事だ。少し前までは刑事らしく事件関係者を尾行したものだ。早い話、尾行のプロだ。そのプロの目から見てあのストーカーの尾行、否ストーキングはプロのそれだ。なんならそれ以上だ。あれほどの技術があるとなると素人ではないだろう。これは嘘ではない。
それが知れただけ上々だ。もっともそれを知ったところで今後役に立つことがあるかはまだ分からないが知っていることは多い方がいい。だがそれを知り得たことで大きな疑問が生じることになった。あのストーカーは何者だ?
刑事に勝るとも劣らない尾行能力。間違えなく只者ではない。それどころか得体が知れない。奴は何者だ?
雨嶋の話によると彼女は昼夜を問わずストーカー被害にあっているらしい。要するにストーカーにはそれだけ時間があるということだ。だとすると定職にはついていないはずだ。バイト?フリーター?無職という可能性もある。だがそれらの人間があんな尾行能力を有しているのだろうか?独学でどうにかなる領域ではない。なんらかの訓練が必要だ。バイト、フリーター、ましてや無職の人間がそんな訓練を受けているとは考えづらい。
時間に余裕がありかつ尾行能力がある人物となると……ああ。僕みたいな人間には可能か。僕みたいな元刑事には。現状この可能性が一番高そうだ。そこらへんにあたりをつけてみるか。
「ではここで」
そうこう思案しながら歩いていると雨嶋宅に着いた。随分と立派なマンションだ。
「ああ。それにしてもなかなかいいところに住んでいるじゃないか」
「何です?私の部屋に入りたいと言うならお断りしますよ。私、先輩を部屋に入れると蕁麻疹が出る持病持ちなので」
「どんな持病だ。それ」
僕はダニか?
「雨嶋。今から警察に行け」
「今からですか?」
「ああ。今からだ」
「分かりました。先輩がそう言うなら」
何の疑いもなく雨嶋は警察に行くことを了解する。一瞬、騙しているようで少し罪悪感が生まれたが少し考えてみると別に騙しているわけではないのでそんなものは消え去った。
「じゃあな」
と言って彼女に背を向け歩み始めるが
「先輩。明日も一緒に帰ってくれますか?」
と後ろから聞こえる声が足を止める。声の主は他に誰がいよう彼女だ。
「ああ。この件が片付くまではな」
背を向けたままそう答える。
「明日も明後日もですか?」
「この件が片付くまではずっとだ」
「じゃあ。片付いたら?」
……。
「片付いてもお前と僕の関係が切れるわけではないだろう?お前が望むのなら時間が空いている時にいつでもお供してやろう」
嘘だ。お供してやる気はみじんもない。なぜかって?昔の関係を今になって続けるのが面倒だからだ。だがそれでは僕があまりにも冷たい人間になってしまうので探偵は恨みを買いやすいからそこに関わらせたくないのだと言っておこう。
「嘘ですよね」
ばれたか。
「先輩は先輩が思っているほど悪い人ではありませんよ」
そうでもないと思うがな。そう思わせることができたのなら噓つき冥利に尽きる。
「先輩は優しい人です。ただとてもとても面倒くさいだけで」
「……」
「どうせ。私のためだとか思ってこの件が片付いたらもう会わないつもりでしょう?そのためなら事務所ごと引っ越ししそうです」
確かにそれはありそうだ。
「せっかく会えたんです。先輩と離れたくありません」
そう言われたあと肩をぎゅっと掴まれた。弱々しくも僕の肩をしっかりと掴んでいるその小さな手に強い意思を感じる。
「私の傍から離れないでください」
涙ぐんだ声が聞こえる。
「それは――」
それは無理だと言おうとしたら雨嶋が
「なんて言われたらどうします?」
と言った。
彼女の方に向き直るとあっけらかんとした表情を浮かべている。
「ちょっと嘘つきでいけ好かない先輩をからかっただけです。全部演技です。忘れてください。えっと警察にいけばいいんですよね。それじゃあ」
と、彼女は小走りでマンションの中に入っていった。
その腫れた目も演技の内だとするならばしばらく会わない間に随分と芸達者になったな、と思った。
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