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本編
君は、あの女と寝た事があるか? おそらく、あると答えれる人間はいないだろう。もし仮にいたとすれば、その男は奇跡の男だ。私には、はっきりとそう言い切れる。
あの女は、どこにでもいる普通の女だ。ただ、どこに住んでいて、どこに現れるのかは、分からない。もしかしたら、もうあなたの目の前に現れているかもしれない。だけど、それは私にはわからないし、どうする事もできない。彼女を目にしないと、あなたに注意することができない。だから、悪い事は言わない。怪しい女には、気をつけた方がいい。ただ、それだけは言える。それは何故か? 彼女は男を喰いものにするのだ。
ある人が言っていた。彼女は、本物だって。
女の存在を知ったのは、裕子という女に出会ったからだ。裕子とは、行きつけの飲み屋で知り合った。そこで何度か顔を合わせているうちに、仲良くなったのだ。
ある夜。私はいつものようにカウンターで飲んでいた。すると、あとから店にやって来た裕子が声をかけてきた。私は、彼女の誘いを受け入れた。そこで並んで飲み始めて、くだらないことをあれこれと話した。
それは店で飲み終わっても止まなかった。店を出て並んで帰っている時も、彼女は機嫌が良かったのか、さらに饒舌になっていった。そして何かしらの話の流れから、裕子は自らの思い出話を始めた。
彼女は、京都に生まれ、高校生までの18年間をその地で暮らした。それから東京の大学に入学して、一人暮らしを始めた。
その大学時代。若気の至りと言わんばかりの事があったらしい。
同じ学部で、たまたま仲が良くなった女の子と、良く食事に行く機会があったようで、そこにはもれなく、男達が付いてきていたようだ。それはその友人の友達ではなく、その友人目当てにナンパで寄ってきた男達だった。
裕子は自虐的に言っていた。私なんか相手にされない。男の目はその子ばかりだと。
裕子の容姿を見ても、決して悪いとは思わなかったが、裕子は私のそんな言葉を受け入れなかった。
彼女は話を止めずに続けた。
その友人は、寄って来た男達を追い払う事なく、いつも受け入れていた。慣れた手つきだったようだ。
「食事がタダになるんだから、むしろラッキーじゃない?」
いつもそう言っていたようだ。
そんなものかと思い、裕子もそれには納得した。それに、自分も食事代を払ってもらっていた立場だったので、下手な事は言えないと思ったようだ。しかし、裕子には引っかかる事があった。彼女は怖くないのかと。
ナンパとなれば、男達は食事をするだけを求めていない。求めているのは、その先だ。
食事が終わると、いつも言われる言葉があった。
「この後どうする?」
大体の男が、そう言い放っていた。それにはいつも友人はこう返した。
「私は、みんなに構ってほしいな」
その一言に、男達はいやらしい笑みに顔色を変えていた。そして、必ず友人は、一言添えた。
「だけど、この子は終電があるから帰してあげて。私がみんなの遊び相手になるから」
つまり、友人は裕子に気を使っていたのだ。
裕子は、それに対して嫉妬などはなかった。むしろ、それで良かったと思っていた。見知らぬ男と遊ぶ事に乗り気にならなかったからだ。それに、何をしでかしてくるかわからない。それはむしろ、ラッキーだと内生で呟いていた。
いつも友人がそう言うと、裕子は真っ直ぐ家に帰っていた。友人が男達と夜闇に消えて行く姿を見届けてながら。
しかしーー。
ある日、事態は起きた。裕子が大学から家に帰っている時、一人の男に声をかけられたのだ。
「ちょっと、いいか?」
声の主に目を向けると、その相手は先日食事をした男の一人だった。
裕子は怖くなった。この男が、何か企んでいる気がしたのだ。
しかし、それは間違いだと、すぐに分かった。男の顔は明らかに強張っていたのだ。
そんな男の顔を見た途端、裕子は身の危険は消えていた。
「どうしたんですか?」
裕子の問いに、男は急に周りを気にし始めた。
「今日はあの女と一緒じゃないのか?」
裕子は、それが友人である事をすぐに察した。
「今日は大学休んでだけど」
「そうか」
そう言って彼は、何も言わずに黙り込んでしまった。
その沈黙は、何かただ事じゃない雰囲気が漂っていた。
そんな沈黙に痺れを切らして、裕子は言った。
「どうかしたの?」
男は、溜飲を飲むように顔を歪めた。
「この話は、誰にも言わないって約束してくれ。特にあの女だけには、絶対に黙っていてほしい」
一体何が言いたいのか? 裕子には訳がわからなかった。その言葉の意味に、理解しようがなかった。
裕子は彼にその訳を聞こうとした。
しかし、その必要はなかった。彼の言い放った一言で、そんな疑問はまたどこがに飛んでいった。
「消えたんだ」
「消えた? 消えたってなにが?」
「いないんだ。あの夜以来、あいつがどこかに消えてしまったんだ」
彼が何を言っているのか、最初はよくわからなかった。だけど、話を聞いていると、掌に汗が滲んできた。
「あの食事の後、自分の身が縛りつけられていくような気分になったんだ。明くる日からあいつは大学に来なくなったんだ」
彼はそう言って話を始めた。
食事会の翌日。講義の前に、いつものように大学の喫煙スペースに行くと、そこにいつもいるはずの彼の友人の姿はなかった。おかしいな。二日酔いか? そんな疑問もあって、彼はすぐにメッセージを送った。だけど返事は、すぐには返って来なかった。
講義が始まっても、既読すらつかない。どういう事か訳がわからなかった。
もしかして、あの女とまだいい想いをしているのか? 彼の思考は、すぐにそう変換されていった。
そう思うと、心配なんか消えていった。自慢げに、営みの話をする友人の姿が浮かんできたのだ。
だが、その日は、返事はもちろん、既読もつかないまま一日を終えた。
そして、翌日。話は変わった。
朝早くに、彼の元に大学から連絡が入ってきたのだ。
「◯◯君知らない?」
事務の女性は不安そうな声で、そう問いかけてきた。彼は正直に知らないと答えた。
「◯◯君、家にも帰ってないみたいなの」
その事務の女性の言葉を聞いてから、戸惑いが生じてきた。
聞けば昨日の朝に、友人の母親は捜索願を出していた。つまり、あの夜に彼の友人は、女と過ごしてから、行方がわからなくなったという事になる。
それで、じっとしていられなかった彼は、こうして、裕子に会いに来た。
「だけど、どうしてあの子に内緒なの?」
裕子は彼に疑問をぶつけた。
「あとから思い返してみたんだけど、なんか怖かったんだ。帰る時にさ、あの女に、他から味わった事のない不気味なものを感じてさ。俺が酔ってただけかもしれないけど」
さらに詳しく話を聞くと、彼は疲れていたので、裕子が帰った後すぐに、自分も帰ると言って、二人と別れたそうだ。しかし、それを裕子の友人は強い力で引き留めたらしい。
「寂しいこと言わないの。一緒に遊ぼうよ」
そう言って自分に向けた目は、彼の心に強く印象に残っていた。少し、恐怖だったと。
しかし、彼の友人がその手を払ってくれた。彼は、それと同時に走って帰ったようだ。
「一応さ、君からあの女に連絡してくれないか? あいつの事知らないかって?」
そんな一言を残して、彼とはその場で別れた。
その夜。裕子は友人の彼女に連絡を入れた。しかし、電話は出なかった。だから、メッセージを入れておいた。すると、すぐに返事が返ってきた。
『どうしたの?』
すぐに裕子は、友人に返事をした。
『今日ね、この間食事した男の子の一人と話す機会があったの。それで、俺の友達知らないかって聞かれた。ほら、私が帰った後にすぐに帰った子。覚えてる? その子が私に会いに来て、聞いてきたの。◯◯と遊んでた男の子は家にも帰ってないらしくて、捜索願出されたみたい。何が知らないかな? あの夜一緒だったんでしょ?』
返事はすぐに返ってきた。そして、やりとりが続いた。
『えっそうなの? びっくりなんだけど』
『そうなの? なんか一緒にご飯に行っただけなのに、私怖くなってさ』
『でも、心配ないんじゃない? きっとどこかにいるよ』
『そうだといいんだけど。でも、捜索願出されてたら、◯◯の所に警察来るかもしれないね。それに私の所にも。その時はどうしたらいいのかな?』
『その時はその時だよ。素直に話せばいいんじゃない』
そんなやり取りをして、その日は終わった。しかし、その翌日に裕子の友人は連絡を寄越してきた。
『ごめん。私、裕子に嘘をついてた。実はね、私はあの人の居場所知ってたんだ。黙ってて本当に、ごめんね。裕子は知らない方がいいかもしれないと思ってさ』
「どういう事?」
「言えない」
「どうして? 警察が探してるんだよ。あの子の親だって心配してるみたいだし」
「でも、言えないなぁ」
「そんな呑気な事言ってないで教えて! それが嫌なら、あなたから直接警察に居場所を教えて上げて」
「じゃあ、私が本当の事を話しても誰にも言わない?」
「当たり前でしょ」
「約束だよ」
そこまで話した後、裕子は黙ってしまった。
「どうした? 顔色を悪いぞ」
裕子は俯いたまま、顔を上げなかった。表情を確認しようとしたが、髪ではっきりと見えない。すぐに肩を支えた。
「ねえ、どこかで休みませてくれません?」
「休むってどこで休むって言うんだ?」
「目の前にホテルがあるじゃないですか」
私は、そこを見上げた。確かにビジネスホテルがあった。話に夢中で、全く気が付かなかった。
「確かにあるけど、それより帰って休んだ方がいいんじゃないか? タクシー呼ぶから」
私がそう言った時だ。
「フッフッ」
裕子は笑った。その笑い声は、一瞬で恐怖感を漂わせた。
「あなたは大丈夫みたいね」
「はっ?」
「それね、本当は私」
「何が? お前大丈夫か? 飲み過ぎたんじゃないか?」
「だから、その女は私なの。裕子なの」
「お前、何を言ってるんだ?」
「私ね、その彼の事、吸い取っちゃったの」
「酔い過ぎだ。今タクシー呼ぶから、ちょっと待ってろ」
私は、支えてた手を離そうとした。しかし、裕子は力強く、腕を掴んできた。
その時、見たことのない裕子の表情を見てしまった。何かに取り憑かれて、狂ってしまったような目を」
動揺してしまった私に向かって、さらに裕子は、高い笑い声を放ちだした。
「私ね、本物の男吸いなの。気に入った男は吸い取るの。吸い取らないと気がすまないの。そうすると、とっても元気になるのよ。だから私、あなたの事もーー」
裕子がそう言いかけた時、私は思わず叫び上げていた。
全力で裕子を突き飛ばし、そのまま走って逃げたしていた。
あの時の彼女の目は正気じゃなかった。今まで見た事のない人間の目だった。
とにかく私は、裕子から逃げた。女が怖くて仕方なかった。
それから私は、裕子に会っていない。再会を恐れて、どこの店にも飲みにも行ってもいない。狙っていたなんて言われたら、そうなってしまうだろ?
数カ月後。
私は、あの飲み屋の店主と、顔を合わした。たまたま道で顔を合わせたのだ。
「久しぶりじゃない? 元気?」
店主は以前と変わらずに、声を掛けてくれた。私は、愛想笑いしか返せなかった。しばらく店に顔を出していないのはもちろん、裕子が怖くて店に行けなくなったなんて、嘘でも言えたもんじゃない。
しかし、店主は何もかもお見通しだった。
「あんたは立派みたいだったね」
「えっ?」
「こうして今も、ここにいるんだから」
店主は、知ってたというのか・・?
「何か、知ってるんですか?」
私は訊いた。
「ああ。勘付いているだろうけど、あの子は本物だよ」
あなたは、ナンパなんてしないほうがいいかもしれない。見知らぬ女に声を掛けない方がいいかもしれない。それは、された方も同じだ。その彼女はもしかしたら、あの女かもしれないから。
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