第二章

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「一階です」機械的な女性の声が、重たかった空気を読まずに言った。 人気がなくなって薄暗い一階のだだっ広いエントランス。数時間前、あわただしく走った同じ場所を、何も言わずに五人そろって逆方向に歩いた。ガラスの大きなドアの向こうには、まるで何もなかったかのように忙しなく人々と自動車が行きかう都会の街が広がっていた。焼き肉屋に居たことがもう何日も前のように思えた。 長く続いていた沈黙を破ったのはハルだった。「雅人、しばらくは入院かな」 「どうだろ」朝陽が答えた。「大した事なさそうなだけ良かったよ」渋い顔をしつつも、他の四人は首を縦に振った。 五人はそろって裏口を出ると、がらんとした駐車場横切った。後ろで重たい鉄の扉が閉まった音が、誰もいない夜の駐車場に反響した。和真は夜中の冷え具合に体を縮こまらせると「スーツは失敗だったな」とぼやいた。 「明日は?」車のキーを取り出すためにポケットをまさぐりながら、アキラが聞いた。「大学とか、バイトとかあるん」 「明日っていうか、今日だけどね。俺はオフ」考えもせずに言う四郎は、さも当然だというような顔をしていた。「昼間はなんもないよ。基本夜勤だし」 朝陽に「いいねぇニートは」と皮肉っぽく言われ、「フリーターですぅ」と訂正が入った。朝陽は肩をすくめると「まぁ私も明日はなんもないんだけどね」と言った。 すると突然和真が「あー、レポート終わってねぇんだった!」と嘆きの声を上げ、膝からコンクリートの床に崩れ落ちた。隣を歩いていた四郎に「ドンマイ、部長」と肩を叩かれる。 車に歩み寄ると、アキラはキーでドアを開けた。ピコッと音が鳴り、少しくたびれたハイエースのライトが点滅する。「乗れ」というぶっきらぼうな声に従って、ハル、和真、四郎の三人は後ろの座席に、朝陽は助手席、そしてアキラは運転席に乗り込んだ。五人がシートベルトをするかしないかのうちに、銀色の中古バンは駐車場を出発した。小さなエアコンが必死に車内を温めようとしている音だけが、窓を閉め切った空間に響き渡っていた。 「せっかく今日久々に会ったんだし」ハルは窓の外を眺めながら言った。誰もすぐに答えなかったからか、その声は独り言のように聞こえた。「また近々店おいでよ」 四郎が見ていたスマホの画面から顔を上げる。「どのみち家に居たってお母上がうるさいだけだし。今度お邪魔しますね」和真を挟むようにして反対側に座っていたハルと目が合った。そしていたずらっぽく笑みを浮かべた。「もちろんハルちゃんのおごりだよね?」これに対してニキビの青年は「えー、今月お小遣いギリギリなんだよー」シロちゃん鬼だよーと肩を落とした。 「自分も行かせてもらおっかな」ミラーでハルの方を見ながら、朝陽は言った。「リフォームされたカフェも見たいし、それに――」 「早乙女のこともあるしな」アキラは目の前の夜の道路を見ていた。まぶしい車のライトに時折目を細めている。雅人の名前が出されて沈黙に包まれた車内に、またアキラの声が聞こえた。「俺は明日と日曜はシフト。日曜いつもは開いてるんやけど、今日休んだ分の振替せんとパイセンにボコられっから。まぁ、また今度暇なときに顔出す」四郎とハルに両方から押されてスーツがよれていた眼鏡の青年も「同じく、暇なとき行くわ」と後部座席から相槌を打った。「またお見舞いに行かないとだし」 小さく息を吐いた朝陽は、少し硬くてごわごわした座席に深々と沈み込んだ。いったん目が覚めてしまったせいか、先ほどからあまり眠たくない。シートと窓の隙間から後ろを見ると、四郎が窓ガラスに頭を預けて瞼を閉じていた。隣でハンドルを握っていたチャラい茶髪の青年は、対向車線の車のライトにうっとうしそうに眼をしょぼつかせながら道路を睨んでいる。「お姉さんも大変だろうね」あの後まだ病院に残ったかもしれない真莉愛さんの疲れ切った表情が脳裏をよぎり、ぼそりと呟いた。「雅人、大丈夫かなぁ」 「・・・大丈夫でしょ」斜め後ろから聞こえたハルの声は、最後になるにつれて消え入りそうだった。彼の発言は、あまりにも根拠がなかった。「また、お見舞い行かなきゃね」 朝陽と和真が静かに「そうだね」といった声だけが聞こえた。
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