第一章

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「――白石(しらいし)朝陽ぃ(あさひ)!」 突然名前を呼ばれ、隅っこでボーっとしていたその若い女はビクッと跳ね上がった。びっくりした拍子に食べていた熱々のカルビにむせ返る。鈍臭いその姿に、周りはクスクス笑った。 「白石ってそういえば3年Ⅾ組の委員長やってたよな」長いテーブル越しに佐藤が言った。「せっかくだし、なんか前来てしゃべれよ」その口調は、クラスの中でも人気の高い生徒たちの集団に属する者がよく使う命令じみたものだった。 目を白黒させながらもなんとか肉を飲み込んだ白石朝陽は、怪訝そうな表情で顔を上げた。その場にいたほとんどの女とは対照的なカール一のない黒いセミロングの上には、ハテナが浮かんでいる。おずおずと自分の顔を指さして「私、ですか」と疑いしかない表情で聞き返した。 「お前以外に白石って苗字いんのかよ」と突っ込まれ、またもや笑いが起こった。笑われてどうすればいいのか分からず、苦笑いをしてごまかしていると「早くしろよ」とテーブルの前方から佐藤の声が飛んできた。 オロオロする間もなく、質素なカーディガンを羽織ったその女は、隣に居た恰幅の良い女に引きずられて席から立った。もうすでに酔っぱらっているのかと思うほどうるさい同級生たちに煽られるがまま、渋々テーブルを横切り強引に前へ連れてこられる。 「はい皆さん注目!」何をしたら良いのか分からず気まずそうに立ちすくんでいると、佐藤は先ほどと同様のわざとらしく抑揚のついた声で話し始めた。「はーい、それでは今日と言う日を記念いたしまして、我が委員長様からのありがたぁいお言葉を頂きたいと思います!」 佐藤の言葉につられて、拍手や口笛が飛び交う。佐藤は、カーディガンの女からの物言いたげな視線にはまるで気づかないふりをした。 二十数人の視線が一斉に集まる。ついさっきまで騒がしかったのがウソみたいに静まり返った。しょうもない時に発揮する異様な団結力に、朝陽が呆れたのは言うまでもないが、今はそれどころではなかった。 「あはは、えーと」助けを求めるように佐藤を見たが、佐藤は数歩下がったところでニヤニヤして見ているだけで何もしなかった。 「み、みんな、もぉりあがってますかー?」 さっきの佐藤のノリに近づけたのであろう、ガッツポーズを構えながら委員長が言った。本人はできる限り元気いっぱいで言ったのだろうが、緊張からか声が裏返ったせいで、見苦しい結果となった。 見事に滑る。漫画であれば、背後に『シーン』という効果音がつきそうだ。 さすがにこれはまずいと思ったのか、朝陽はもう一度口を開いて、声を絞り出した。 「えーと、き、今日はおめでたい日みたいな日なので、みんなが集まれて、えーと、良かったと思うので、最後まで楽しんでもらえたら良かったと、思います・・・」最後のほうはモゴモゴと口の中に籠った。 数秒遅れて微妙などよめきと馬鹿にしたようなクスクス笑いがちらほら聞こえた。 するとどこからともなく「委員長からは重大発表ねーの」と言う声が上がった。 「は、重大発表?」穴が合ったら入りたいといわんばかりの表情で立っていた朝陽は「えぇ、」と困惑の声を漏らした。 「あ」何か思いついたように、佐藤が口を挟んだ。途端に顔が意地悪っぽく歪む。「いいんちょーそういえば、男できたんじゃなかったっけ?」 「はぁ?」 観衆が途端にやかましさを取り戻した。かと思えば、今度は「委員長に男!」「どんな奴だ?」「まじかよ、気になるわ」「詳しく教えろよ!」などとみんな勝手なことを言い出した。 「いや、ちょ、何それ!」朝陽は焦って防衛体制に入った。「何言ってんの、別に男とかできてないんですけど!」必死になって否定をしたが、「いやいやいや、そっちが何言ってんの」と佐藤に可笑しそうに言われて、彼女の表情は困惑したものに変わった。「ジョークじゃん、ジョーク! あんたも必死すぎ。そんな誰もほんとに男できたとか思う訳けぇだろー、なぁ?」 またもや取り巻きの笑い声が大きくなった。朝陽は何か言おうと口を開いたが、佐藤がパシッと手を合わせた音に飲み込まれた。「はーい、『地味女』さんありがとうございましたー」と棒読みで言った。 途中で強制終了させられて顔をしかめた『地味女』に、またゲラゲラと笑いが起こった。 佐藤がまた何やら違う話を始めたのを横目に、『地味女』こと白石朝陽は自分の席に戻ろうと背を向けた。朝陽は、いちいち自分を呼び出した佐藤に腹が立ったが、それ以上に「はい、」とだけ言って、反撃も何もできずにトボトボ席に着いた自分に一番腹が立った。 先ほどと同様、盛り上がっている人たちとは真反対の柱に近いポジションに大げさにドカッと座る。そんな些細な仕草でしか存在感をアピールできない自分にまたもや嫌気がさしたが、周りのやかましい笑い声と同様、気にしないことにした。 高校の時からだ。もう慣れている。 そんな彼女のの小さな主張に気が付いた唯一の青年が「ご立腹ですねぇ」と小声で言った。
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