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 巣鴨村の北の外れにある竹林を抜けると、小さな百姓家がある。年老いた土地持ちの百姓から買い取ったものだ。この家に、[あかね]の早雲(そううん)は一人で暮らしていた。家の裏手は小高い丘になっていて、様々な木々が生い茂っている。中には、薬に使うために早雲が植えたものも多い。  季節は春。ちょっと前まで静まりかえっていた植物たちが、息を吹き返すようにして一斉に芽吹き始めた。早雲は丘を歩き回り、採取した植物や虫などを持ち帰って、薬を作る。  早雲の表稼業は薬の調合で、こうして作った薬を江戸の薬屋に卸したり、新たな薬の研究をして暮らしている。総髪の、さっぱりとした顔つきの若者である。  近所の人間との付き合いは希薄で、早雲がそこに暮らしていることすら、知らない者も多い。近くに住む百姓の一人に、ときどき野菜を届けてもらうのが、唯一の交際と言ってもいい。  この辺りは田畑や寺院ばかりの田舎だが、桜の季節は歩く人の姿が増える。飛鳥山が近いので、江戸から桜見物に来た人間があちこちに歩いているのだ。  あまり、浮かれた人間の顔を見るのは好きではない早雲だから、この季節は特に、用事以外で外に出ることはしない。  丘から戻ってきた早雲は縁に布を広げ、笊いっぱいに載せた材料を、種類ごとに分けて布の上に置いていく。  生のまま使うものもあれば、これから乾燥させなければならないものもある。材料の種類や用途によって、処理の仕方がまったく違ってくるのだ。  生で使うものを再び笊に戻すと、空を見上げた。雲は小さなものがちらほらとあるだけで、雨が降りそうな気配はない。布の上の材料は、このまま天日に晒しておくことにした。  居間の方へ行こうと進めた足が、止まった。
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