1/2
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ

 桜は見頃を過ぎ、枝に咲いているものより、散って地面を染める花びらの方が多くなっていた。夜。どこか濁った空気に乱反射した月明かりが、地面の花びらを辛気くさく照らしている。  深川の洲崎。死体が見つかった桜の根元には、まだ掘り返した跡が残っている。一時期は死体が見つかった騒動と花見の旬が重なり、かなりの賑わいを見せていたが、それも落ち着いたようだ。  夜薙は熱のない眼で、その跡をじっと見つめていた。 「旦那、お呼びですかい?」  声をかけてきたのは、伝治という髭面の四十男である。この近くに一人で住んでいる。彼の留守中に、家の戸に書き置きを挟んでおいた。 「悪いな、わざわざ来てもらって。ここで見つかった死体について、ちょっと聞かせてもらいてえことがあってよ」 「なんです?噂じゃ、女の身元は分かったって話ですが」  すでに[美濃屋]の騒動は収まり、南朋吉は店に復帰している。表向きには、好き合った女・美世と共に何者かに突き落とされたということにしてある。下手人は、未だ不明のままだ。  南朋吉は一度江戸を訪れ、美世の遺骨を涙ながらに引き取っていった。 「ああ。どうも、おかしいんだ。女、名前は美世ってんだが、そいつが川に突き落とされたのは板橋宿のあたり。だが、死体が見つかったのは下流は下流でも、この土の中ときた。こいつはどう考えても、殺しの下手人とは別の誰かが、死体を埋めたってことだ」 「は、はあ。それで、私に何の関わりが?」 「お前、瓦版を刷ったよな?これだ」  懐から折りたたんだ紙片を出し、開く。それは、南朋吉が記憶を取り戻すきっかけになった瓦版だった。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!