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八
早雲は住み処を移した。千住宿の外れに、前と似たような立地の空き家を見つけ、そこへ引っ越したのだ。また一から、薬草などを植えていかなければならないと思うと、少し億劫な気持ちになる。
柱にもたれながら、縁に腰掛ける夜薙を見下ろす。
「こいつを、あの若旦那に渡しといてくれ」
丁寧に布に包んだ簪を、夜薙が差し出した。何も言わず、早雲はそれを戸棚にしまった。戻ってきて、
「いくらでやった?」
「二十両。他愛なかったな」
以前の家と違って、庭に桜の木が一本だけだが生えている。もう、葉桜の季節だった。
「女の死体を弄んだ恨み、か。あの若旦那、歳の割に思い切った頼みをしたもんだ」
「やりきれないんだろうな。自分の巻き添えを食って殺されたんだ。できるだけのことは、してあげたかったんだろうさ」
南朋吉は店に戻った後、元締に後金を支払ってから、もう一つ依頼をした。それが、美世の死体を桜の根元に埋めた人間の殺害だった。
元締を通して依頼を受けた夜薙は、同心としての立場も利用して真相を探り、依頼を遂行した。
「はあ。とんだことに巻き込まれたな、今回は。俺、もう半年は業を使うつもりはなかったのに」
「よく言うぜ。自分から元締に繋いでおいてよ」
「ああするより、仕方なかっただろう。予吉を片付けなけりゃ、俺だって危なかったかもしれない。今だって、あのおかしな浪人が俺たちのことを探してるよ、どうせ」
元締とも話し合い、浪人は放っておくことにした。[黒業師]としての顔を見られたわけでもないし、直接受けた被害は小さな刀傷だけだ。居所も分からない浪人を追うより、こちらが隠れてしまう方が得策だと判断し、ここに引っ越してきたのだ。
「引っ越しまでして見つかっちまったら、それはもう運だな」
口もとだけで笑うのへ、呆れた視線で返す。
「しばらくは穏やかに暮らしたいな。お前、しばらくうちに来るなよ」
「好きで来てねえよ。で、しばらくって、いつまでだ?」
「秋の終わりまで。それまでは、表の仕事に集中したい」
夜薙が鼻で笑った。
「それまで、生きていられるか?」
「さあ?」
運だ。全て。今、自分が生きているのも。南朋吉が生き残ったのも。
桜の木に目をやる。大人の腕でも抱えきれない太い幹。あそこまで成長できたのも、運の積み重ねだ。
輝くように鮮やかな緑色の葉が、ただ早雲たちには眩しかった。
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