1419人が本棚に入れています
本棚に追加
第2話
現代社会における性別の概念は、従来の男女に加えて性種というものが存在する。アルファ、ベータ、オメガの三種類だ。つまりこの世には六種類の性が存在することになる。
人類の大半はベータと呼ばれ、これは特筆すべき特徴を持たない普通の人種である。
これに対して希少なのがアルファとオメガだ。
アルファは男女ともに生まれながらにしてエリートの気質を持つ種だ。世界の要職や富豪のほとんどはアルファで構成されている。
一方オメガはアルファよりも更に数が少なく、男女ともに妊娠・出産が可能という特殊な性である。性質上、繁殖行為を生業としていた歴史を持つせいで社会的地位は他の二種に比べて低い。
反面、その希少性のためか手厚く扱われることも少なくないし、他種に比べ脆弱なゆえ庇護欲を掻き立てられるのか、伴侶として乞われることも多いという。扱われ方がとても複雑な性種なのだ。
オメガは三ヶ月に一度発情期がある。一週間は何も手につかずただただ情交を求める状態が続くのだ。その際強力なフェロモンを発し、惹き寄せられた他種はその誘惑には抗えないという。
研究の進んだ今はフェロモンや発情を抑制する薬が開発され、ほとんどのオメガが薬を服用して普段の生活を送っている。
末永蒼の両親はごくごく普通のベータだ。普通に結婚をし、姉・翆と蒼が生まれ、普通の生活を送っている。もちろん、子供である翆と蒼もベータである。アルファのようにカリスマ性があるわけでもなく、オメガのように発情期があるわけでもない。普通の代表選手みたいなものだ。
蒼が通う桜坂学園高校にはオメガもほんの数人いると言われているが、蒼はそれについて特に思うことはない。身近にいれば普通に友達になっていただろう。両親から性種差別はするなとずっと教えられてきたし、蒼もそういうじめじめしたことは嫌いだ。好きになればベータだろうがオメガだろうがアルファだろうが関係ないと思っている。
(まぁアルファの女の子が俺たちのようなベータを好きになることなんて、ほとんどないだろうけど)
当然蒼の高校でも、ヒエラルキーのトップに君臨するのはアルファだ。生徒会長は当然のこと、希少なオメガの存在を巡って規律が乱れることを防止するために存在する、風紀委員会の委員長もアルファ。肩書きなしのアルファも若干名いるが、皆優秀である。実は鳴海も風紀委員の一員だ。本当は生徒会長にと望まれていたらしいが本人が断ったと、蒼は噂で聞いていた。
鳴海は桜坂高校に属する美形アルファの中でも、最上位に位置するほどの美貌の持ち主だ。一部生徒からは【桜坂高校の奇跡】とさえ呼ばれている。口数は多い方ではないが、人に話しかけられると美麗な笑顔で接し、性格は穏やかで優しいと評判である。
特にキラキラしたグループに属しているわけではないが、キラキラな女の子たちに群がられているのを蒼はよく見かけている。
つやをまとった漆黒の髪は光を受けて輝き。完璧な平行型の二重まぶたを持つ瞳は切れ長で、薄茶色の虹彩が怜悧さを演出している。大きすぎず筋の通った隆鼻に薄めで色気を帯びたくちびる。
それらのパーツで構成された横顔は美しいEラインを形成している――つまりはどれをとっても完璧で、身長は一八〇台後半、脚も蒼の腰くらいまでは軽くありそうなくらい長い。
あまりに出来過ぎているので、よくネットで見かける、
『前世でどれだけ徳を積んだら現世でこんな完璧な男に、しかもアルファとして生まれてこられるんだろう』
というフレーズを目の前で言ってやりたいと、蒼は思った。
「生まれながらにしてエリートとか、アルファ、マジチートだよな」
蒼はたまにそんなことを口走ったりもするが、今の自分を比較的気に入っており、毎日楽しい生活を送っている。背が低いせいか女の子にはほぼモテないが、家族にも友達にも恵まれていた。
「そういや蒼、俺、彼女出来たわ」
「え、マジか! いつの間に!?」
道すがら突然の充からの報告に、蒼は目を見開いた。実は充はアルファに引けをとらないくらい頭がよく、鳴海がいると霞んでしまうが、顔の造作も結構なものだ。おまけに背も蒼より十センチ以上高いのでベータの中では高スペックで通っており、なかなかモテる。彼女が出来た報告――これで何度目か、蒼は数えるのも嫌になった。自分は彼女いない歴=年齢なのに。
「塾で一緒の子なんだけどさ、結構可愛い」
「え、ちょっと合コンやろうぜ。彼女の友達紹介してくれよ」
「まぁ一応聞いてみるわ。……ってかそれよりさ、蒼おまえ、最近シャンプーとか変えた?」
いきなり話が思わぬ方向転換をしたので、蒼は眉をひそめて充の顔を凝視した。
「へ? 何で?」
「ん~、何かいつもと違う匂いがする」
そう言って充が俺の後頭部に鼻を寄せてくん、と嗅いだ。
「え、変な匂いする?」
「逆、甘い匂いする。ずっとかいでいたい感じ」
「マジか。姉ちゃんシャンプー変えたのかな? 気づかなかった」
「おまえ翆ちゃんのシャンプー使ってんのかよ。怒られないのか?」
笑いながら充が言った。
「姉ちゃん俺のこと溺愛してるから大丈夫! むしろ同じ匂いになれて嬉しいとか言われる!」
「ま、そだな。翆ちゃんブラコンだしな」
そう言って充は蒼の頭をくしゃくしゃっとかき撫でた。
「うぅ……、何かまだ腹痛い」
蒼が下腹部を手で擦った。心なしか姿勢も前傾になっている。
「拾い食いでもしたか?」
「するわけねぇだろ! 多分、昨日夜にアイス二つも食ったせいだと思う。姉ちゃんが『私の分も蒼にあげるね』って言うから、調子に乗って一気食いしちゃったんだよなぁ」
翆は弟の蒼のことをそれはそれは可愛がっている。猫可愛がりだとか溺愛だとかいう言葉がぴったり当てはまるほどだ。小学生の時に蒼が初めて充を家に連れて行った時も、充のことを不躾に眺めた後、
『蒼のこといじめたりしたら、社会的に抹殺してやるから覚えておいた方がいいよ?』
にっこりとそう言い放ったのだ。それ以来、充は誰に言われることもなく蒼のお守り役を務めている。「同い年なのにお守りって何だよ」と抵抗してみたものの、当の充は「おまえはお子ちゃまだからな。お兄様が面倒見てやるから任せておけ」などと、蒼の主張など意に介することなく言いのけたのだ。
そんな充に翆が「みっちゃん、任せた!」と、全幅の信頼を寄せるようになったものだから、蒼はそれ以降何も言えなくなってしまったのだ。
確かに蒼は充の言う【お子ちゃま】なのかも知れない。十七歳で彼女の一人もいない。「鳴海が羨ましい」や「彼女の友達紹介してくれ」などと言ってはいるが、それは既に周囲とのコミュニケーションを円滑にするための常套句と化していて、実際に彼女が欲しくて焦りに焦っているかと言えばそうでもない。
正直なところ、友達とふざけ合ったりゲームをしたりしている方が楽しいのだ。
周りの女の子から男扱いされていないのも要因だろうか。クラスの女子からは【蒼ちゃん】と呼ばれており、更には「蒼ちゃんは彼女じゃなくて彼氏作った方が似合うよ~」なんてからかわれることもしばしばだ。確かに蒼は母親似でぱっちり二重まぶたのくりくりおめめの持ち主で、喋らなければ女の子っぽく見えなくもない。
それでも男なので充のような少しタレ目で涼やかな優男顔や、鳴海みたいなザ・イケメンといった男っぽい美形に憧れることもある。しかしないものねだりしても仕方がないし、自分は自分の人生を生きるしかないだろう、と開き直っている。
普通に大学まで行って普通に就職して。いつか奥さんをもらって子供を作り、自分の両親のように普通の家庭を作れたらいい。
『普通や平凡な生活というのが一番幸せで、それでいて一番難しいんだ』
前にテレビでそう言っているのを聞いたことがあるが、どこを取っても【ザ・普通】の蒼はアルファやオメガみたいな劇的な人生を送ることなんて絶対にないだろう――この時は疑うことなくそう思っていた。
最初のコメントを投稿しよう!