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第5話
「──で、何? 俺に用なんだろ?」
それから一言も言葉を交わすことなく人気のない体育館裏に連れて来られた蒼は、それまでの沈黙に耐え切れず早々に口火を切った。しかし鳴海はそれに答える様子もなく、気まずそうに視線を泳がせている。
(何か意外──)
いつも堂々としていて表情をあまり変えることのない鳴海が、こうして何かを躊躇ったりしている姿はなかなか拝めない。ちょっと面白いな、なんて思ってしまった。
すると鳴海が目を見開いた。蒼がクスリと笑ってしまったのが気に障ったのだろうか。
「あ、ごめ──」
「ううん、俺が悪い……」
ばつが悪そうに自分の口元を覆う鳴海。これまた珍しいシーンだ。
(こいつ結構表情あるじゃん)
普段見ることのない表情をしげしげと観察していると、鳴海が真面目な顔で言ってきた。
「末永、変なことを聞くけど許してほしい」
「ん? いいよ。何?」
「最近──何か身の回りで変わったことはない?」
「変わったこと?」
「例えば……誰かに言い寄られるとか」
質問の意図を掴みかねている蒼は、頭の周りに?マークをまき散らす。それから少しして、彼は「ん」と、目の前の男を指差した。
「?」
困惑して首を傾げる鳴海に蒼はおどけて言う。
「今、お前に言い寄られてるよ? ……な~んてな、これは言い寄られてるって言わないか」
舌を出して笑う蒼に、鳴海の頬が少し赤くなる。
「そう、じゃなくて……俺以外に」
「別にないよ?」
「じゃあ、身体に変化があったりとかは?」
「変化ー? んー特にな……」
言いかけて、蒼は止まった。そんな彼を訝しく思ったのか、少し離れていた鳴海が近づいてきた。
「あるの?」
「そういえばここ何日か、腹の調子が悪くて……アイスの食い過ぎだと思うんだけどまだ治らないんだよなぁ。それと二日くらい前から友達から『いい匂いがする』とか言われるなぁ。シャンプーとか柔軟剤だと思うんだけど……」
迷いを含んだ口調で答えた途端、鳴海が明らかに態度を変えた。むしろ動揺しているようにも見える。
「──ちょっとごめん」
そう言って更に蒼に近づき──というより密着して、彼の首筋の匂いを嗅いだ。ちょうど鳴海の肩口に飛び込む形になった。
「ちょっ、鳴海?」
慌てた蒼は彼の制服をつかんだ。
「っ、」
鳴海の匂いが鼻腔に飛び込んで来た途端、蒼の身体の奥底に何かが疼くような感覚が襲ってきた。熱いものが渦巻くような、下腹部に心臓が下りてきたような。甘ったるい匂いが香の煙のように体内に満ちてくる。クセになりそうな中毒性のある芳香だ。
酔ったように頭がくらくらし、たちまち顔に熱が集まってきて何だかたまらなくなる。
「は、離れて、鳴海」
息までもが荒くなり、怖くなった蒼は思わず鳴海を突き飛ばそうとした。しかしほとんど力が入らず、自分よりもかなり大柄な男をさほど動かすことは出来なかった。それでも鳴海は我に返り、もったいないくらい頭を下げた。
「ご、ごめん!」
サラサラの髪から見える耳が赤いのは気のせいだろうか。
「い、いいよ。ちょっと苦しかっただけだから!」
鳴海と密着してドキドキし、あまつさえ下半身にまで影響しそうになった――本当の理由などとても言えない蒼は、苦しかったとごまかすしかない。
「本当にごめん……俺のせいだ……」
ぼそりと呟いた鳴海の方こそ、苦しそうに見えた。
「え、何が?」
「な、何でもないよ。……末永、もしよければ、俺と携帯番号とか交換しない? 友達になってほしいんだ」
「え? あ? いいよ。俺なんかでよければ」
「なんか、なんて言わないで。前から仲良くなりたいと思ってたんだ」
鳴海は眉尻を下げつつ小首を傾けた。
「そ、そうなのか? あ~、だから時々俺のところに来てたのか! それならそうともっと早く言ってくれればよかったのに! 鳴海に『友達になりたい』って言われて断るやついないだろ」
今までの鳴海の態度が腑に落ちて、蒼は携帯を出しながら大きく頷いた。お互いの携帯番号とメッセージアプリのIDを交換しながら、蒼が目をぱちぱちと瞬かせた。
「へぇ~鳴海って【凛】っていうのか~。きれいな名前だなぁ」
鳴海は男らしい美形であるが、顔の作りが綺麗でもあるので凛という名前がよく似合っていると蒼は思った。
「【蒼】っていう名前もきれいだと思う」
「ありがと。これからもよろしくな、鳴海」
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