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第1話
「蒼ー、帰ろうぜー」
「おぅ……ぶっ」
帰宅の準備をしている時に名前を呼ばれ振り返ると、目の前に真っ黒な壁が立ちはだかっていた。そこに顔をぶつけてしまい、思わず変な声が出る。鼻を押さえながら二、三歩距離を取ると、壁……もとい、同じクラスの鳴海が表情筋を微動だにさせずに蒼を見ていた。
「な、鳴海、何か用……?」
蒼のそれよりもだいぶ上にある顔を見上げながらおずおずと尋ねる。あまり焦点が合っていない瞳で蒼を見つめたまま動かない鳴海に若干イライラし始めると、それから少しして彼は我に返ったように目を見張り、
「──あ、いや、何でもないよ。ごめん」
かすかに口角を上げてそう言い、鳴海は蒼から離れて行った。
「……変なやつ」
蒼はその後姿をぼんやりと眺めたままため息混じりに呟き、肩をすくめてからスクールバッグを肩にかける。
「鳴海って何考えてるかよく分からないよなぁ」
横から竹内充が言った。充は蒼の親友で、その腐れ縁とも言える関係は幼稚園から始まった。とは言え、仲良くなったのは小一になってからなのだが。いずれにしてももう十年の仲になる。
「マジそれ。普段からあまり喋らないしな~」
「でも顔は恐ろしいくらい整ってるよな。アルファ中のアルファ、って感じ。頭もいいし、何であいつが生徒会長にならなかったんだろう、ってみんな言ってたわ」
「あれだけのイケメンならアルファじゃなくたって女の子よりどりみどりだよな。あ~羨ましい」
その眉目秀麗振りを思い出して、蒼は地団駄を踏んだ。
「それにしても鳴海って最近やたら蒼に絡んでくるよな。ケンカ売るでもなく仲良くしてくるでもなく、今みたいに。おまえのこと気に入ってんのかな?」
「あの無表情で見られて、気に入られてるなんて思えるやつがいたらマジ笑うわ。……って、俺、腹痛い……ちょっとトイレ行って来る!」
蒼はバッグを充に押しつけ、教室を出てトイレに向かって走って行った。
蒼と鳴海はこれと言って仲がいいわけではない。むしろ会話をしたことすらほとんどない。仲のいい友人もかぶっていない。要は人種が違うので、普段接点はほとんどない状況だ。
なのに時々こうして目の前に立ちはだかっては、無言無表情で蒼を見てくるのだ。まったくもって意味不明である。
身長一八〇センチを軽く超える男に上から見られるのは、一六〇ほどしかない蒼にとっては正直少々不快で威圧感を覚えてしまう。蒼はそのたびに、愛読している巨人の漫画を思い出した。
しかも鳴海は普段、他人から話しかけられたり教師から指名された時などは優美で洗練された優等生スマイルしか見せない。それはもう判で押したかのようにその笑顔ばかりなのである。
しかし、時折蒼の側に立つ鳴海はと言えば、ザ・無表情である。正確に言えば無表情というよりは、心ここにあらず、と言った方が当てはまるかも知れない。どこかぼぅっとしていて、とにかく優等生スマイルの欠片もない表情でいるのだ。
これで好かれていると解釈する方がおかしいのだ。
「ふぅ……」
(俺のことが気に入らないのならはっきり言え、と言いたいぞ、俺は。うん、今度言う)
蒼は洗面所で手を洗いながら、あるか分からない次のために軽く決意をした。
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