庭師テツの番外編 鎮守の森 28

1/1
前へ
/512ページ
次へ

庭師テツの番外編 鎮守の森 28

「うっ!」  背中に強い衝撃を受け、続いて激痛が走った。  テツさんが雪也くんを庇い、おれが二人の盾となったのだ。     このまま死んでも構わない。誰かの役に立って死ねるのなら、それでいい……あいつに抱かれながら死ぬより、ずっとずっと生きてきた、生き抜いた意味がある。 「桂人ー!!しっかりしろ!」  おれを呼ぶ、必死な声が聞こえる。  遠かったり近かったり、随分心配そうに呼んでくれるんだな。  おれの名を……  次に目覚めた時、視界は白い天井に白いカーテンとなっており、一番近い距離にテツさんの顔が見えた。 「……テツさん?……おれは……また死ねなかったのか」 「馬鹿なことを言うな!」 「もう死んでしまいたかった……あのまま」  思わず漏れ出してしまった本音に、テツさんが怒りを露わにする。 「いい加減にしろ!」  おれを見つめるテツさんの目は赤く、涙が浮かんでいた。  もしかして……おれのために泣いているのか。  不思議に思って指先を伸ばし、テツさんの頬に触れてみた。どうやら痛いのは背中だけで、指も腕も無事のようだ。 「テツさん……あなたに怪我はなかったですか」 「あぁお前が庇ってくれた。俺は情けないよ。お前を守れなかった」  後悔の滲む声だった。 「テツさんは……雪也くんを助けました。あの子は無事ですか」 「あぁ掠り傷一つない」 「良かったです。すみません。おれ……すぐに動けるようになりますから、まだ、ちゃんと働きますから」  せめて、あの日が来るまでは、あなたの弟子であり続けたい。 「何言って? 桂人は深い怪我をしたんだ。肋骨が折れているようだし、背中に深い傷を負ってしまった」 「いいんですよ。どうせ」  どうせ、もう傷だらけの躰だ。  どうせ、もうすぐ朽ちていく躰だ。  今更……傷が一つ二つ増えようと構わない。  そこでバチンっと目の前に火花が散った。 「馬鹿! 死に急ぐな! どうしてなんだよ、どうしてっ! お前、一体何をするつもりだ」  頬がヒリヒリしていた。  そこで漸く頬を叩かれた音だったと理解出来た。 「もしかして……おれのために怒って泣いているのですか。はっ奇特な方ですね。テツさんは……ははっ」  自嘲気味な乾いた笑いが、病室に広がった。  虚しいものだ。 「そんな風に笑うな。泣けよ!」  テツさんの涙が雨のように降ってくる。  おれのために泣いてくれるのですか。  あぁまただ……テツさんの庭にいるような不思議な心地になってくる。  泣くに泣けないですよ。今更この状況を打破する気力なんてない。でも……  瞼をそっと閉じてみた。  ただ欲望のままに、あれが欲しくて…… 「桂人……」  すると優しい声と共に、あれはすぐにやってきてくれた。  唇に温かいものが、テツさんの唇が再びそっと重ねられたのだ。 「ん……んっ」  気持ちいい……温かい。  優しく指を絡めとられた。おれの指の1本1本にテツさんの指が絡まってシーツに縫い止められた。官能的な仕草だった。  まるで躰を重ねているような密着感だ。  目を開けたらこの甘美な夢から覚めてしまいそうなので、ギュッと瞑った。  この暗闇なら、怖くないんだな。  優しい口づけが心を灯してくれているから。  ここは病室で雨は降っていない。なのに……おれの唇はぐっしょりと濡れていく。テツさんによって濡らされていく。    もっと欲しい、もっと深く――  そっと口を開くと、おれの口腔内にも雨が降り注いできた。  舌を優しく吸われ、躰が震え疼き出す。 「あ……」    自分の声とは思えない、あえかな声だった。こんな頼りない弱々しい声がおれから出るなんて……  信じられなくて、思わず喉元を抑えてしまった。  途端に赤子のように心許なくなり、テツさんに縋りたくなった。だからその手を彼の背に伸ばしてしまった。  広い背中……逞しい人だ。 「桂人、俺に話せ。君が抱えているもの。君の秘密を。俺は君をみすみす失いたくない!」 「駄目だ。テツさん――」 「救いたい!」 「……あなたには……敵わない」 「何故だよ! 一介の庭師の俺には無理なのか! その権利はないのか!」  溢れる感情のままに折れるほど強く抱きしめられ、背中が痛んで「うっ……」と鈍い声を漏らしてしまった。  その時カーテンの向こう側から、低い声がした。   「……入ってもいいか」  
/512ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5387人が本棚に入れています
本棚に追加